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    • 医療/ヘルスケア
    2025.11.06
    • 医療/ヘルスケア
    歯科治療後の顔面痛、原因物質をブロックして予防に成功 ―痛くなる前に防ぐ、全く新しい治療戦略へ―

    本研究成果のポイント 歯科治療後に起こる顔の痛み「外傷後三叉神経ニューロパチー」の原因を明らかにしました。これまでは「痛みが発症してから抑える」治療法しかなかった病気ですが、今回の研究成果により「痛みを未然に防ぐ予防」への全く新しい治療戦略が期待されます。   概要 広島大学大学院医系科学研究科薬効解析科学の麻 思萌 現・育成助教(当時・大学院生)、中村 庸輝 助教、中島 一恵 助教、森岡 徳光 教授の研究グループは、歯科治療後にまれに起こる強い顔の痛み「外傷後三叉神経ニューロパチー」の原因と予防法を、マウスを使った実験で明らかにしました。神経が傷つくと「HMGB1」という物質が放出され、それが「RAGE」という受容体と結びつくことで、炎症が起こり、痛みが慢性化することがわかりました。研究では、神経損傷の直後にRAGEの働きを止める薬を神経の近くに投与することで、痛みの発症を完全に防ぐことに成功しました。さらに、この薬は神経の周囲だけでなく、脳内の痛みを増幅させる細胞の働きも抑えることが確認されました。これにより、従来の「痛みが発症してから抑える治療」から「痛みを未然に防ぐ予防」への新しい治療戦略が期待されています。今後は人への応用に向けて、安全性や効果の検証が進められます。     背景 私たちの顔には、三叉神経という神経が通っています。これは、顔に触れたときの感覚(温度や痛みなど)を脳に伝える役割を持っていますが、親知らずの抜歯やインプラント治療などの歯科治療時、偶発的に三叉神経が傷ついてしまうことがあります。これが原因となり、食事や会話、洗顔といった日常のわずかな刺激で耐え難い激痛が走る「外傷後三叉神経ニューロパチー」という病気を発症することがあります。この痛みは、患者の生活の質(QOL)を著しく低下させるだけでなく、うつ病や不安障害を引き起こすこともあります。 これまで、この痛みに対する治療は抗てんかん薬や抗うつ薬などの薬物療法が中心でしたが、効果は限定的で、めまいや眠気といった副作用も大きな課題でした。さらに、痛みが慢性化するのを未然に防ぐための有効な予防法は確立されておらず、神経損傷のリスクがある患者に対する新たな予防戦略の開発が強く求められていました。     研究成果の内容 本研究グループは、外傷後三叉神経ニューロパチーにおいてどのようなメカニズムで痛みが発生するのかを解明し、そしてその予防法を確立することを目指しました。 そもそも、「痛み」を人間が感じるメカニズムの一つとして、「HMGB1」と「RAGE」という物質が関わっています。HMGB1は細胞の中にあるたんぱく質の一種で、RAGEは細胞の表面にある受容体(センサーのような役割)です。HMGB1は細胞の中にあるので、細胞が傷つくと外に出てきます。すると、それを感知したRAGEが「体に異常がおきている」と判断し、炎症反応を引き起こします。このようなメカニズムから、HMGB1は「痛みの警報物質」とも呼ばれています。 そこで私たちは、RAGEがHMGB1を感知する前に、その働きを弱めることができれば、痛みを軽減できるのではないかと考えました。まず、歯科治療後に起こる痛みを再現するために、マウスの顔の神経を傷つけたマウスモデル(眼窩下神経を損傷したモデル)を作製しました。その後、一部のマウスにのみ、神経を傷つけた直後(当日と2日後)に、RAGEの働きを阻害する薬物(RAGE阻害薬)を、傷つけた神経の周辺に直接投与しました。その結果、RAGE阻害薬を投与しなかったマウスでは、顔を頻繁にこすったり、冷たい刺激に対する強い反応といった症状が、雄雌ともに確認されました。これに対し、RAGE阻害薬を投与したマウスでは、これらの痛みの行動が全て、性別に関わらずに抑制されました(図1)。この結果は、RAGEの働きを初期段階で弱めることが、痛みを防ぐ上で重要であることを示しています。 図1:RAGE阻害薬の予防投与による痛み様行動の抑制効果 神経損傷マウスにRAGE阻害薬を予防的に投与した際の、痛みの強さを示す行動の変化。(左)自発的な痛み(顔を毛繕いする時間)と(右)冷たい刺激に対する痛み反応を評価した結果。神経損傷のみのマウス(黒)では、対照マウス(白色)に比べて痛みの行動が著しく増加しましたが、RAGE阻害薬を投与したマウス(灰色)では、これらの痛みの行動が有意に抑制されました。本図は雄マウスのデータですが、雌マウスにおいても同様の抑制効果が確認されています。(本研究成果の論文中の図を改変) ここまでで、RAGEの働きを弱めると痛みが抑制されることが分かりましたが、次に、この痛み予防効果の背景にあるメカニズムを解明するため、免疫細胞の活動を詳細に解析しました。まず、マウスの傷つけた神経の周辺を調べたところ、RAGE阻害薬を投与しなかったマウスでは、炎症を引き起こす主要な免疫細胞である「マクロファージ」が過剰に集まっていることが確認されました。しかし、RAGE阻害薬を投与したマウスでは、このマクロファージの集まりが劇的に抑制されていました(図2)。 図2:RAGE阻害薬による神経損傷部位でのマクロファージ集積の抑制効果 損傷した三叉神経の周囲に集まる免疫細胞「マクロファージ」の様子(白色部分)。対照マウス(左)と比較して、神経損傷のみのマウス(中央)ではマクロファージが過剰に集積し、強い炎症反応が起きています。一方、RAGE阻害薬を投与したマウス(右)では、このマクロファージの集積が大幅に抑制されていることが分かります。(本研究成果の論文中の図を改変) さらに、神経からの痛みの情報が脳に伝わる最初の中継地点である「脳幹(三叉神経脊髄路核尾側亜核)」に注目しました。すると、神経が傷ついたことに反応して、脳幹に存在する免疫細胞「ミクログリア」が活性化し、その細胞数が異常に増加していることが分かりました。これは痛みの信号が増幅され、慢性化する「中枢性感作」と呼ばれる現象の証拠です。驚くべきことに、末梢神経周辺に投与したRAGE阻害薬は、この脳幹におけるミクログリアの活性化をも抑制していました(図3)。 図3:RAGE阻害薬による脳幹でのミクログリア活性化の抑制効果 痛みの情報が脳に伝わる中継地点「脳幹」における免疫細胞「ミクログリア」の様子(白色部分)。対照マウス(左)のミクログリアは活動が穏やかな「休止状態」ですが、神経損傷のみのマウス(中央)では、細胞が大きく形も変化した「活性化状態」になっています。末梢神経に投与したRAGE阻害薬は、この脳幹におけるミクログリアの活性化も強く抑制しました(右)。(本研究成果の論文中の図を改変) これらの結果から、 ①神経が傷ついた時に放出されたHMGB1がRAGEに結合し、 ②末梢神経でマクロファージによる過剰な炎症を引き起こし、 ③その情報が脳幹に伝達されてミクログリアを活性化させ、痛みを慢性化させる、 という一連のメカニズムが明らかになりました。 そして、神経損傷の直後にRAGEの働きを阻害することで、この負の連鎖を断ち切り、痛みの発症を未然に防ぐことができるという、全く新しい予防戦略の有効性が示されました。     今後の展開 今後は、ヒトでの臨床応用を目指し、安全性と有効性の検証を進めていきます。本研究で標的とした受容体「RAGE」は、アルツハイマー病など他の疾患の治療標的としても研究が進められており、それらの治療薬として開発された薬剤を応用することで、本予防法の早期実用化が期待されます 。また、本予防法は損傷した神経の周辺に薬剤を局所投与するため、全身性の副作用を低減できる可能性も秘めています。 本予防戦略は、歯科治療後の顔面痛だけでなく、様々な難治性疼痛へも展開できる可能性があるため、将来的にはより幅広い医療分野において、痛みの「治療」から「予防」へのパラダイムシフトを促すものと期待されます。     参考資料 掲載誌:Biochemical Pharmacology 論文題目:Preventive effect of RAGE antagonists on distal infraorbital nerve injury-induced pain behaviors of male and female mice 著者: Simeng Ma, Yoki Nakamura*, Takahiro Kochi, Suzuna Uemoto, Yume Miura, Zhaojing Wang, Kazue Hisaoka-Nakashima, Norimitsu Morioka* 掲載日:2025 年 12 月 (オンライン先行公開日:2025 年 8 月 14 日) DOI:10.1016/j.bcp.2025.117242 本研究成果は、広島大学から論文掲載料の助成を受けています。   【プレスリリース】歯科治療後の顔面痛、原因物質をブロックして予防に成功ー痛くなる前に防ぐ、全く新しい治療戦略へー.pdf(1.03 MB) 掲載誌:Biochemical Pharmacology 研究者ガイドブック(中村 庸輝 助教)   【お問い合わせ先】 広島大学大学院医系科学研究科薬効解析科学 助教中村庸輝 Tel:082-257-5312 E-mail:nakayoki@hiroshima-u.ac.jp   広島大学大学院医系科学研究科薬効解析科学 教授森岡徳光 Tel:082-257-5310FAX:082-257-5314 E-mail:mnori@hiroshima-u.ac.jp

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    • 教育/人材育成
    2025.03.26
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    大規模言語モデル(LLM)を活用した医学倫理教育の可能性 ―倫理的な行動の手本や相談役としての機能を検討―

    (Credit: Kanon Tanaka) 本研究成果のポイント 医学教育では、人的・財的資源の制約から、倫理教育が十分とは言えません。本研究では、この問題への対策として、医学倫理教育においてAIモデルの一種であるLLM(Large Language Models、大規模言語モデル)*1が有用な学習ツールとなる可能性を提示しました。 医学倫理を学ぶうえで、医療に必要なルールや原則に関する知識の獲得だけでなく、患者や医療現場ごとに生じる複雑な倫理的ジレンマに対応するための態度や徳を身につけることが重要です。本論文では、知識の獲得と、態度や徳を身につける教育の双方を取り入れたハイブリッドアプローチの必要性を指摘しました。 LLMに対して、医療倫理に特化した追加学習(ファインチューニング*2)を行うことで、医学倫理教育においてLLMを倫理的な手本や相談役として活用する可能性を提示しました。利用者とLLMとの反復的な対話を通じて利用者の意識やLLMの情報の偏り(バイアス)を減らし、より公正でしっかりした医療倫理の枠組みを構築することができると考えられます。   概要 広島大学大学院人間社会科学研究科上廣応用倫理学講座の片岡雅知 寄附講座准教授、ならびに同研究科の澤井努 特定教授(寄附講座教授兼務、京都大学 高等研究院ヒト生物学高等研究拠点 連携研究者、シンガポール国立大学客員教授)は、広島大学大学院人間社会科学研究科の岡本慎平 助教、板野誠 博士課程大学院生とともにLLMを活用した医学倫理教育の可能性を検討しました。 本研究成果は、2025年2月5日に学術誌「BMC Medical Education」でオンライン公開されました。   論文情報 題目:AI-based medical ethics education: examining the potential of large language models as a tool for virtue cultivation 著者:Shimpei Okamoto1, Masanori Kataoka1,2, Makoto Itano1, Tsutomu Sawai1,2,3,4* 1. 広島大学大学院人間社会科学研究科 2. 広島大学大学院人間社会科学研究科上廣応用倫理学講座 3. 京都大学高等研究院ヒト生物学高等研究拠点(WPI-ASHBi) 4. Yong Loo Lin School of Medicine, National University of Singapore, Singapore, Singapore. *: 責任著者 雑誌:BMC Medical Education URL:https://bmcmededuc.biomedcentral.com/articles/10.1186/s12909-025-06801-y DOI:https://doi.org/10.1186/s12909-025-06801-y   背景 現在の医学教育カリキュラムでは倫理教育が十分とは言い難く、医学生や研修医が臨床現場で倫理的に複雑な状況に直面した際、対応に苦慮することが報告されています。 このような問題への理想的な対処法として、専門的な教育を受けた倫理指導者の雇用や、医学教育カリキュラムの改善が求められます。しかし、人的・財的資源の制約から、こうした対処は困難であり、医学倫理教育の充実が進まない状況が続いています。 こうした背景を踏まえ、次善の策としてLLMを教育ツールとして活用することが考えられます。医療分野に特化した学習を行ったLLMに対し、対応に苦慮するケースの情報を入力することで、手本となりうる対応策や、患者ケアにおいて考慮すべき情報を得ることができます。 LLMを倫理的な手本や相談役として活用することで、人的・財的資源を抑えながら、道徳的知識や患者ケアに必要な姿勢の獲得を促す可能性があります。   研究成果の内容 本研究では、医学倫理教育のアプローチについて検討し(①)、LLMが倫理的な手本(②)や相談役(③)として有用な学習ツールとなる可能性を示しました。 また、医学教育におけるLLMの実用性を検討するために取り組むべき課題を整理しました(④)。   ① ハイブリッドアプローチの重要性 医学倫理教育においては、2つの教育アプローチが存在します。 原則主義的アプローチは、医療倫理の4原則*3のように、医療に必要なルールや原則に関する知識を獲得するという、認知的目標の達成を目的としています。 一方で、非原則主義的アプローチは、個別の患者が抱える状況を認識・判断し、倫理的価値に基づいて行動するための態度と徳を育み、身に着ける態度的目標の達成を目的としています。 医療の現場において、適切な倫理的意思決定を行うためには、2つのアプローチを組み合わせたハイブリッドアプローチを取り入れ、医療に必要なルールや原則に対する十分な知識と、患者ケアに不可欠な徳や態度を獲得する必要があります。   ② 倫理的な手本としてのLLM 私たちは、倫理的な手本となるような人物の行動を真似することによって、徳や態度を身に着けることができます。 同様に、歴史上の人物や架空のキャラクターなど、目の前に実在しない存在を手本として倫理的な原則を理解し、その行動を真似することで、徳や態度を身に着けることもあります。実際に、教育の現場では文学や映画などの作品を通して、複雑な倫理的ジレンマを理解したり、共感や道徳的態度を身に着けたりする試みがなされています。 目の前に存在しない人物や架空のキャラクターを真似することで徳や態度を身に着けることができるのであれば、私たちはLLMの示した回答やシナリオを通して倫理的行動の手本を認識し、それらを真似することで徳や態度を身に着けることが出来るかもしれません。   ③ 相談役としてのLLM LLMの回答は、あくまでも助言として活用されるべきであり、絶対に正しいものであるかのように扱うべきではありません。 LLMの提示した回答の結論だけでなく、その回答が導き出された過程や参照している情報源を検討し、どの部分が手本として参照するに値するか、値しないかを判断する必要があります。 また、ファインチューニングを行っていないLLMは、原則主義的な回答を行う傾向にあることが指摘されています。徳倫理やフェミニスト倫理など、他の考え方が示された場合に、初めてそうした考え方を反映した回答を出力することが確認されています。 原則主義的な考え方のみに基づいて教育を行うと、LLMの利用者が患者一人一人の状況に対応できない、不適切な考え方や行動を身に着けてしまう可能性があります。 そのため、専門家や教育機関によるフィードバックを得ながら、より適切な回答を出力できるようファインチューニングを行って、LLMの情報を更新していく必要があります。   ④ 検証すべき課題 1. 原則主義的な回答を行う傾向があるのなら、どのように態度的目標を達成するのか? LLMによる原則主義的な回答の傾向は、ハイブリッドアプローチに組み込むことで、解消することが出来ます。利用者は、非原則主義的な観点からLLMの回答を批判的に検討することで、相手に対する共感や適切な態度について考えることができます。 特定のシナリオにおいて、人間の気づかない感情の動きをLLMが認識するという研究結果も示されていることから、LLMが活用できる場面を見極めながら教育の現場に組み込むことで、教師の負担を部分的に削減したり、新たな気付きを与えたりする可能性があります。   2. LLMの回答を、患者ケアの参考にする人はいるのか? LLMが共感や配慮といった複雑な感情を理解できないのではないかという理由から、LLMの回答をアドバイスとして取り入れたり、LLMが提供した手本となる行動の例を真似したりするに値しないのではないかという懐疑的な意見もあります。 しかし、「推論」に対する判断を行う課題においては、作成者が人間であっても、LLMであっても、アドバイスとして採用する際に影響は生じないという研究結果が示されています。 認知的要素である推論と、態度的要素である徳や態度では結果が異なる可能性もあるため、今後、実証的な実験によって、相談役としてのLLMの実用性を検討する必要があります。   3. 徳や感情を持っていないLLMが、倫理的な手本になりうるか? 文学作品や映画作品の多くは、作者と直接対話を行うことができない環境で鑑賞されています。物語の作者のことを知らずとも、物語のキャラクターを手本として徳を育み、身に着けることができるのであれば、LLMが感情の機微に欠けており、倫理的な態度や徳を有していないとしても、出力されたシナリオや回答を手本とすることができる可能性はあります。 倫理的手本としてのLLMの実用性は、作成者の情報や手本とする存在の実在など、様々な条件を考慮したうえで、教育的実験を通じて実証的に検証される必要があります。   4. 更新の作業が必要なら、医学教育の役に立たないのではないか? 人間と人間のコミュニケーションにおいても、世代間で価値観に相違が生じるなど、バイアスが表面化することがあります。たとえば、ワークライフバランスの取れた生活を求めるといった価値観は、世代間で異なった受け取られ方をするかもしれません。 このように、徳や価値観が時代や文化によって変化することを教師も認識しなければなりません。 LLMと人間の教師による教育を組み合わせることによって、学生と教師の対話、徳や価値観に対する批判的反省、相互学習の機会の場を促進することができるかもしれません。 LLMと利用者のバイアスを認識し、取り除くという更新の作業は、人的なリソースを必要としますが、最終的にはより公正でしっかりした医療倫理の枠組みを構築することに繋がる可能性があります。   今後の展開 LLMを医学倫理教育で活用するためには、実用性を測定するための実証的な検証が必要です。 人間の教育者が割く時間の増加を抑えつつ、より高品質な教育を実現するため、LLMと教育者の協力関係の構築について、検討を進めることが望まれます。 より実用的な回答を出力するために、専門家や教育機関によるフィードバックを得ながら、LLMのファインチューニングを進めていくことが求められます。   謝辞 本研究は、以下の支援により実施しました。   日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業 若手研究 「経験的生命倫理学における方法論の構築とその応用」21K12908 (研究代表者:澤井努) 上廣倫理財団論文投稿助成[UEHIRO2023-0116]   参考資料 Ethical Exemplar in Medicine https://chatgpt.com/g/g-EjSMhG7W1-ethical-exemplar-in-medicine   用語解説 *1:LLM(Large Language Models、大規模言語モデル) ChatGPTに代表される生成AIモデルの1つで、膨大な文章データを元に学習を行い、人間の会話や文章から単語の出現確率をモデル化する技術。単語の並びから言語のルールや文脈を学習し、人間が自然だと思う文章を生成したり、文章表現を分析したり、文章の翻訳や要約をしたりすることに用いられる。   *2:ファインチューニング LLMに対する追加学習の1つ。事前学習を行ったLLMに対して、特定の課題や分野に特化した新たなデータを学習させるプロセス。 特定の分野のニーズに合わせてLLMをトレーニングできるため、より精度が高く、有用な情報を提供できるよう、カスタマイズすることができる。   *3:医療倫理の4原則 アメリカの倫理学者であるトム・ビーチャムとジェイムズ・チルドレスが提唱した4原則。自律性の尊重、無危害、善行、正義の4つからなる。 自律性の尊重:患者自身の決定や意思を大切にして、患者の行動を制限したり、干渉したりしないこと。 無危害:患者に危害を及ぼさないことや、今ある危害や危険を取り除き、予防すること。 善行:患者のために、患者の考える最善の善行を行うこと。 正義:患者を平等かつ公平に扱うこと。   報道発表資料(560.34 KB) 学術誌: BMC Medical Education 広島大学研究者ガイドブック (片岡 雅知 寄附講座准教授) 広島大学研究者ガイドブック (澤井 努 特定教授)   【お問い合わせ先】 大学院人間社会科学研究科 人間総合科学プログラム 上廣応用倫理学講座 担当:兼内伸之介(特任学術研究員) Tel:082-424-6594FAX:082-424-6990 E-mail:shinnkan*hiroshima-u.ac.jp (*は半角@に置き換えてください)

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    2026.01.19
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    【フェニックスセミナー2025まとめ】AI/DX研究の最前線

    概要 フェニックス協力会主催(広島大学AI・データイノベーション教育研究センター共催)にて、2026年1月19日に広島駅前コンベンションホールにて、フェニックスセミナー2025(研究シーズ発表会)を開催しました。   当日は、企業や研究者など70名ほどが参加し、若手研究者によるAI/DXの研究の最前線についての発表がありました。セミナー後は、懇親会も開催。直接研究者とコミュニケーションをとることで、研究とビジネスをつなげるきっかけの場となりました。   発表内容の詳細 信頼性工学 × 生成AI:Nバージョンプログラミングを再考する(鄭 俊俊)   プライバシーを守る次世代AIの実践と応用(連 卓涛)   モノの形の最適化(松島 慶)   情報科学×医学の融合研究(檜垣 徹)   生体信号情報のAI解析と医療・インタフェース応用(古居 彬)   深層学習・ニューラルネットワークによる視覚表現学習(相澤 宏旭)   ウェーブレットに基づいた円滑化技術による寿命分析の改善に関する検討(呉 敬馳)     フェニックス協力会とは 「地域社会・国際社会との共存」を具現化する取組みとして、2010年11月、地域社会、特に地域産業界への更なる貢献を目的として設立。 150社ほどの企業・団体が所属し、広島大学オープンイノベーション本部産学連携部門(事務局)から、産学連携に関連する情報発信や、会員企業の皆さまにご活用いただけるさまざまなサービスなどを発信しています。

    • 医療/ヘルスケア
    2025.11.19
    • 医療/ヘルスケア
    リンパ管の病気「リンパ管奇形」に対して、漢方薬「越婢加朮湯」が有効であることを確認しました~半数以上の患者さんで患部の腫れを20%以上縮小、世界初 臨床試験で実証~

    本研究成果のポイント 先天性のリンパ管の病気「リンパ管奇形」に対して、漢方薬「越婢加朮湯(えっぴかじゅつとう)」が有効であることを世界で初めて確認しました。   概要 広島大学病院漢方診療センターの小川恵子教授(研究代表者)らの研究グループは、全国8施設の小児外科・放射線科と共同で行った臨床研究において、漢方薬「越婢加朮湯(TJ-28)」が小児リンパ管奇形(lymphatic malformation: LM)に有効であることを明らかにしました。この成果は、米国医学会の国際誌 JAMA Network Open(2025 年11 月3 日号)に掲載されました。 また、本研究成果は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。 論文情報 ・論文タイトル:Eppikajutsuto for Treatment of Lymphatic Malformations in Children: A Nonrandomized Clinical Trial ・著者:Keiko Ogawa-Ochiai, MD, PhD(広島大学病院 漢方診療センター)ほか ・掲載誌:JAMA Network Open 2025 年11 月3 日 ・doi:10.1001/jamanetworkopen.2025.40897 https://jamanetwork.com/journals/jamanetworkopen/fullarticle/10.1001/jamanetworkopen.2025.40897?guestAccessKey=330f0c68-47b9-46c5-8851-24ecb13f6048&utm_source=for_the_media&utm_medium=referral&utm_campaign=ftm_links&utm_ content=tfl&utm_term=110325 ・試験登録番号:Japan Registry of Clinical Trials(jRCTs041210007) ・研究助成:日本医療研究開発機構(AMED)「統合医療」に係る医療の質向上・科学的根拠収集研究事業 (リンパ管奇形に対する越婢加朮湯の効果を評価する治験のプロトコール作成、リンパ管奇形に対する越婢加朮湯の効果を評価する臨床研究) 背景 リンパ管奇形とは、生まれつきリンパ管の病気の一種です。リンパ管という管がうまくつくられなかったことで、体の中の老廃物や余分な水分が袋状に溜まりコブをつくってしまう病気で、このコブが顔や首回りによくできるため、気道を圧迫して呼吸がしづらくなったり、見た目上の問題などを引き起こします。 従来の治療法である硬化療法(コブの中に薬を注射して小さくする方法)や外科手術によるコブ切除は効果がある一方で、治療後の腫れにより気道を閉塞してしまうリスクがあるほか、近年注目される「mTOR 阻害薬シロリムス」という薬は、免疫力が低下し、他の病気に感染してしまうリスクや、口内炎などの副作用が課題となっており、新たな治療法が求められていました。 https://cure-vas.jp/list/lymphatic-malformation/ 難治性血管腫・血管奇形 薬物療法研究班ホームページより 研究成果の内容 今回、リンパ管奇形の治療に「越婢加朮湯(えっぴかじゅつとう)」という漢方薬を活用することを見出しました。越婢加朮湯はむくみや炎症をやわらげる効果がある漢方薬で、古代中国の医学書『金匱要略(きんきようりゃく)』に由来します。日本では1986年に厚生労働省により承認され、保険収載されています。1 日あたり約120円程度と経済的であり、外来で安全に使用できる治療法です。 本研究では、体重25kg 以下の小児19 人に越婢加朮湯を6 か月間投与し、その効果を調べました。MRI により画像検査を行ったところ、52.6%の症例で病気の部分が20%以上縮小し、顔や首回りでは83.3%の小児に効果が見られました。副作用は軽度なものが多く、重い副作用を発症したのは1 人だけでした。また、薬の継続率も高く、約9 割が実際にきちんと飲まれており、多くの子どもが継続して治療を受けら れたことがわかりました。 本研究は、広島大学病院を中心に、金沢大学、慶應義塾大学、大阪大学、日本大学、国立成育医療研究センター、昭和医科大学、聖マリアンナ医科大学、全国8 施設が共同で実施しました。MRI 画像解析は中央判定により行われました。   今後の展開 本研究成果は、難治性疾患に対する漢方薬の科学的有効性を示す初のエビデンスとして、国内外の小児外科・小児科・放射線科・形成外科・皮膚科・漢方医学領域に新たな治療選択肢を提供するものです。今後は、長期予後の検証や、分子標的薬との併用・比較研究を通じて、より個別化された治療モデルの確立を目指します。この結果を基に、世界のリンパ管奇形の子供たちに漢方薬での治療が可能になるように尽力したいと思っています。     報道発表資料(553.19 KB) 掲載誌:JAMA Network Open 研究者ガイドブック(小川恵子教授)   【お問い合わせ先】 広島大学病院 漢方診療センター 教授 小川 恵子(おがわ けいこ) E-mail:okeiko22@hiroshima-u.ac.jp TEL:082-257-1921(内線 6921)

    • 医療/ヘルスケア
    • 教育/人材育成
    2022.07.12
    • 医療/ヘルスケア
    • 教育/人材育成
    医療系学生のための「感染症教育VR」教材を制作!~広島大学における実証授業でVR教材の効果を検証~

    本研究成果のポイント 「感染症対策」を共通テーマとして、部門横断型の医療教育VRを制作しました。 本VRによる学習を行った学生は、従来の講義形式の学習を行った学生に比べ、より正しく感染対策を実践できていることを検証しました。 本学では感染症に強い人材を早期段階から育成していきます。   概要 広島大学病院(広島県広島市、感染症科教授:大毛宏喜 他)は株式会社ジョリーグッド(東京都中央区、代表取締役:上路健介、以下 ジョリーグッド)に撮影と編集を委託し、新型コロナウイルスを含む「感染症対策」を共通テーマとして、「医学」「看護」「歯学」「薬学」「リハビリ」の5部門横断型の医療教育VRを制作しました。360°カメラによって撮影された現場の映像を元に、CGによりウイルス・細菌の飛沫や付着を表現しています。医療スタッフの目線のみならず患者視点でも、感染症のリスクをリアルに体験できる教育コンテンツを目指して各部門職員が脚本、出演、演出および監修をしました。   また、広島大学において、医学生を対象に今回開発した医療教育VRを用いた実証授業と医学部共用試験OSCE(オスキー)形式の実技試験を組み合わせた実証実験を行ない、VRによる学習を行った学生は、従来の講義形式の学習を行った学生に比べ、より正しく感染対策を実践できていることを検証しました。   今後、広島大学では、疑似体験によって高い教育効果が得られるVR教材を積極的に活用して医学生の実技レベルを飛躍的に向上させ、臨床実習にて自信を持って患者診療が行える学生医「スチューデント・ドクター」を輩出するなど、感染症に強い人材を早期段階から育成していきます。   本研究成果は、2022年7月12日付けで「American Journal of Infection Control」誌のオンライン版に掲載されました。   論文情報 掲載誌: American Journal of Infection Control 論文タイトル: Virtual reality as a Learning Tool for Improving Infection Control Procedures ​​​著者: Keitaro Omori*, Norifumi Shigemoto, Hiroki Kitagawa, Toshihito Nomura, Yuki Kaiki, Kentaro Miyaji, Tomoyuki Akita, Tomoki Kobayashi, Minoru Hattori, Naoko Hasunuma, Junko Tanaka, Hiroki Ohge*責任著者 DOI: 10.1016/j.ajic.2022.05.023 (7月12日に本学霞キャンパスで記者説明会を開催。左から広島大学の繁本准教授・蓮沼教授・大森診療講師、ジョリーグッドの細木部長)   報道発表資料(661.27 KB) 広島大学研究者ガイドブック ( 大毛 宏喜 教授) 論文掲載ページ (American Journal of Infection Control)に移動します   【お問い合わせ先】 <研究に関すること> 広島大学病院 感染症科 教授 大毛宏喜 Tel:082-257-1613 E-mail:ohge*hiroshima-u.ac.jp   <製品・技術等に関すること> 株式会社ジョリーグッド広報担当 Tel:050-5477-7697 E-mail: press*jollygood.co.jp   <報道に関すること> 広島大学広報室 Tel:082-424-3701 E-mail:koho*office.hiroshima-u.ac.jp   株式会社ジョリーグッド広報担当 Tel:050-5477-7697 E-mail: press*jollygood.co.jp   (注: *は半角@に置き換えてください)

    • 医療/ヘルスケア
    2026.03.16
    • 医療/ヘルスケア
    肝腫瘍の腹腔鏡手術、どんな時に開腹に切り替える? 多施設前向き研究で「3回目以降の肝切除」と「男性」がリスク因子と判明

    本研究成果のポイント 肝腫瘍の腹腔鏡手術において、手術中に体への負担が大きい開腹手術に切り替えなくてはならない状況が発生することがあります。どのような状況で、この切り替え(コンバージョン)が発生してしまうのか、リスクとなる因子を明らかにしました。 概要 広島大学大学院医系科学研究科消化器・移植外科学の大段秀樹教授らの研究グループは、広島臨床腫瘍外科研究グループ (Hiroshima Surgical Study Group of Clinical Oncology: HiSCO)に所属する7施設による多施設共同前向き研究を行い、腹腔鏡下肝切除において、手術中に用手補助腹腔鏡手術(HALS)または、開腹手術へ移行(コンバージョン)するリスク因子を明らかにしました。その結果、「3回目以降の肝切除」と「男性」であることが、コンバージョンのリスクであることが明らかになりました。 本研究の成果は、2025年12月26日に「Scientific Reports」に掲載されました。 論文タイトル Risk factors of conversion to hand-assisted laparoscopic surgery or open surgery in laparoscopic liver resection: a multicenter prospective study (HiSCO-08) 著者 Ko Oshita¹、 Michinori Hamaoka²*、 Tsuyoshi Kobayashi¹、 Takashi Onoe³、 Tomoyuki Abe⁴、 Toshihiko Kohashi⁵、 Koichi Oishi⁶、 Daisuke Takei⁷、 Tomoyuki Akita⁸、 Hideki Ohdan¹ *責任著者 1. Department of Gastroenterological and Transplant Surgery、 Graduate School of Biomedical and Health Sciences、 Hiroshima University 2. Department of Gastroenterological、 Breast and Transplant Surgery、 Hiroshima Prefectural Hospital 3. Department of Gastroenterological Surgery、 Kure Medical Center and Chugoku Cancer Center、 National Hospital Organization. 4. Department of Gastroenterological Surgery、 Higashihiroshima Medical Center、 National Hospital Organization. 5. Department of Hepato-Biliary-Pancreatic Surgery、 Hiroshima City North Medical Center Asa Citizens Hospital. 6. Department of Surgery、 Chugoku Rosai Hospital. 7. Department of Surgery、 Onomichi General Hospital. 8. Department of Epidemiology、 Infectious Disease Control and Prevention、 Graduate School of Biomedical and Health Sciences、 Hiroshima University. 掲載雑誌 Scientific Reports DOI 10.1038/s41598-025-34013-3 背景 肝腫瘍の治療において、腹腔鏡下肝切除という手法があります。これはお腹に小さな穴をあけて行う治療法で、出血量が少なく、手術後の痛みが軽く、早期に社会復帰可能といった利点から、体への負担が少ない手術として世界的に普及しています。とくに部分切除や外側区域切除といった小さな範囲の肝腫瘍を切除する際には、この治療法が標準的に選ばれることが多いです。 一方で、腹腔鏡下肝切除では、手術中に安全性の担保や腫瘍を確実に切り取ることが困難となり、用手補助腹腔鏡手術(HALS)や開腹手術という手術法へ移行(コンバージョン)する症例が一定数存在します。コンバージョンすると、体への負担が増加し入院期間の延長につながることが知られており、どのような症例でコンバージョンリスクが高いかを手術前に把握することは、極めて重要な課題です。 これまでにもコンバージョンのリスク因子に関する報告はありますが、その多くは後ろ向き研究(過去の記録を振り返る研究)でした。経験的にコンバージョンの可能性が高いと予測された症例は最初から腹腔鏡下肝切除を選ばないことが多く、実際に腹腔鏡下肝切除を試みたときに何が本当に影響するのかを正確に評価しにくいという課題がありました。このため、従来の研究では「腹腔鏡下肝切除を実際に試みた場合に、どの因子が真にコンバージョンに影響するのか」を正確に評価することが困難でした。実際、我々の経験でも、手術前にはコンバージョンのリスクが高いと予測して開腹手術を選択した症例において、後から振り返れば腹腔鏡手術が可能であったと思われる症例がありました。 本研究ではこの課題を克服するため、肝切除の既往歴や肝硬変の有無などの背景に関わらず、適格基準を満たすすべての症例に対してまず腹腔鏡アプローチを行うという、これまでにない前向き研究(あらかじめ計画して将来の結果を追う研究)デザインを採用しました。これにより、選択バイアスを最小限に抑え、腹腔鏡下肝切除におけるコンバージョンリスクを、実臨床に近い形で検証することが可能となりました。 研究成果の内容 本研究は、広島臨床腫瘍外科研究グループ(HiSCO)に所属する7施設が参加した多施設共同前向き臨床試験として実施されました。 5cm以下の単発肝腫瘍に対して部分切除または外側区域切除を予定した患者を対象とし、すべての症例を腹腔鏡で手術を開始しました。199例が登録され、うち172例(86.4%)では腹腔鏡下肝切除を完遂しました。一方、27例(13.6%)では、術中の安全性や根治性の確保を目的として、HALSまたは開腹手術へコンバージョンしました。コンバージョンの主な理由は腹腔内癒着であり、特に複数回の肝切除を受けた症例で高頻度に認められました。多変量解析の結果、腹腔鏡下肝切除におけるコンバージョンの独立したリスク因子として、「3回目以降の肝切除」と「男性」であることが明らかになりました。 また、コンバージョン症例では、腹腔鏡下肝切除を完遂できた症例と比較して、手術時間の延長、出血量の増加、術後入院期間の延長が認められました。一方で、重篤な術後合併症や周術期死亡は認められませんでした。 今後の展開 本研究は、腹腔鏡下肝切除におけるコンバージョンのリスク因子を、前向きかつ多施設で検証した世界初の臨床研究です。本研究成果により、「コンバージョン高リスク症例を事前に把握したうえでの、慎重かつ現実的な手術戦略の立案」、「早期のHALS・開腹手術への移行を含めた、安全性を最優先とした判断」、「不必要な手術侵襲や合併症リスクの回避」が可能となり、腹腔鏡下肝切除全体の安全性向上が期待されます。 また、本研究で明らかとなったコンバージョンのリスク因子は、腹腔鏡手術の適応を制限するためのものではなく、術中に生じ得る技術的困難を予測する指標として活用されるべきものです。高リスク症例においても、適切な準備と判断のもとで腹腔鏡アプローチを選択することは十分に可能であり、本研究はその判断を支える科学的根拠を提供します。 今後は、本研究で得られた知見を基盤として、より高難度な肝切除や解剖学的切除への応用やロボット支援肝切除におけるコンバージョンリスク評価など、低侵襲肝手術の最適化に向けた研究を展開していく予定です。 図1: 本研究の要点 用語解説 腹腔鏡下肝切除:お腹に数か所の小さな穴を開け、カメラ(腹腔鏡)と細い器具を用いて肝臓の一部を切除する低侵襲手術。 コンバージョン(開腹移行):腹腔鏡手術中に、安全性や確実性を優先するため、予定していた腹腔鏡手術を中止し、より侵襲の大きい手術方法へ変更すること。 用手補助腹腔鏡手術(HALS):腹腔鏡手術の途中で、術者の手をお腹に入れて行う手術方法。腹腔鏡手術と開腹手術の中間的な手技。 前向き研究:あらかじめ研究計画を立て、対象となる患者を登録し、将来に向かって結果を追跡・解析する研究方法。後ろ向き研究より結果に信頼性が高い。 選択バイアス:研究対象の選び方によって、結果が偏ってしまうこと。 報道発表資料(511.25 KB)   【お問い合わせ先】 広島大学大学院医系科学研究科消化器・移植外科学 Tel:082-257-5220FAX:082-257-5224 E-mail:hohdan@hiroshima-u.ac.jp

    • 医療/ヘルスケア
    2025.11.19
    • 医療/ヘルスケア
    肥満や肝炎「MASH」発症の新規メカニズムを明らかに!~治療薬開発に向けた第一歩~

    本研究成果のポイント 代謝機能障害関連脂肪肝炎 (MASH)の発症にPin1という酵素が関与することを明らかにしました。現時点では、ほとんど治療薬のない病気に対し、新たなアプローチでの治療法開発が期待されます。   概要 広島大学大学院医系科学研究科医化学講座の中津祐介准教授、浅野知一郎名誉教授を中心とした研究グループは、プロリン異性化酵素Pin1がMASHの発症に重要であることを明らかにしました。この病気は現時点で有効な治療薬がないのですが、今回の発見により、今後、Pin1を標的としたMASH治療法の開発につながる可能性があります。   論文タイトル: Pin1 mediates metabolic dysfunction-associated steatohepatitis in mice fed high-fat, high-cholesterol diet by regulating both PPARα and acetyl CoA carboxylase. 掲載雑誌:Biochim. Biophys. Acta. Mol. Basis Dis. (2026年2月号に掲載) 著者:1中津祐介、2佐野朋美、1中西魅加子、3松永泰花、1, 4神名麻智、 2兼松隆、1浅野知一郎 1. 広島大学大学院医系科学研究科医化学講座 2. 九州大学大学院歯学研究院口腔機能分子科学分野 3. John W. Deming Department of Medicine, Tulane University School of Medicine, 4. 山陽小野田市立山口東京理科大学工学部機械工学科   背景 代謝機能障害関連脂肪肝炎(MASH)とは、肥満や糖尿病などの生活習慣病が原因で肝臓に脂肪が蓄積し、炎症や線維化(傷)が起こる病気です。近年、患者数が増加しており、放っておくと肝癌につながる可能性があるため、早期の治療が重要ですが、現時点では生活習慣の改善や体重の減少などの手段しかなく、決定的な治療薬は存在しません。 決定的な治療薬がない原因の一つとして、MASHがどのようにして発症するのかがまだ十分に分かっておらず、病気のどの部分を薬で狙えばよいのかはっきりしない点が挙げられます。 そのため、MASHの発症に関わる新しい原因(因子)を見つけることが求められていました。   研究成果の内容 本研究では、Pin1という酵素が、上述したMASHの原因である可能性について調べるため、肝臓の大部分を占める肝細胞からPin1を取り除いたマウスを用いて解析を行いました。普通のマウスに高カロリーな餌を長期間与えると、肥満とともにMASHを発症します。一方、Pin1を取り除いたマウスに同じ餌を与えても肥満やMASHになりにくいことがわかりました。 そこで、その原因を調べたところ、Pin1がPPARというたんぱく質の働きを妨げていることがわかりました。PPARは肝臓で脂肪を分解したり、エネルギーの消費を促すホルモン「FGF21」を作るように促す働きがあるのですが、Pin1がPPARの機能を抑制することで、肝臓で脂肪が蓄積しやすくしていることを明らかにしました。さらに、Pin1には肝臓で脂肪を作り出す働きをもつ「アセチルCoAカルボキシラーゼ」という酵素を増やす働きもありました。 つまりPin1は、肝臓で脂肪の分解を妨げると同時に脂肪の合成を促す働きをもつため、肥満やMASHの発症に関与していることがわかりました。   今後の展開 今回の研究は、マウスを用いて肝臓のPin1を欠損させると肥満やMASHが改善することを明らかにしました。今後は、Pin1の選択的阻害剤の開発やPin1の阻害剤が肥満やMASHを改善するかを検討する必要があります。   謝辞 本研究は、科学研究費補助金(研究代表者:中津祐介、浅野知一郎、佐野朋美)、土谷記念医学振興基金(研究代表者:中津祐介)、山口内分泌疾患研究振興財団(研究代表者:中津祐介)、薬理研究会(研究代表者:中津祐介)、朝日生命成人病研究所研究助成(研究代表者:中津祐介)、持田記念医学薬学振興財団(研究代表者:中津祐介)の支援で行われました。 また、広島大学からの論文掲載料の支援を受けています。   参考資料 本研究の概略図     報道発表資料(373.64 KB) 掲載誌:Biochim. Biophys. Acta. Mol. Basis Dis. 研究者ガイドブック(中津祐介准教授)     【お問い合わせ先】 大学院医系科学研究科医化学講座中津祐介 Tel:082-257-5138 E-mail:nakatsu@hiroshima-u.ac.jp

    • 医療/ヘルスケア
    • 健康/スポーツ
    2023.10.23
    • 医療/ヘルスケア
    • 健康/スポーツ
    夜勤時の覚醒水準の維持と疲労感の低減を可能とする仮眠のとり方 ~90分間と30分間の分割仮眠と120分間の単相性仮眠の効果~

    研究成果のポイント 夜勤中にとる仮眠は眠気を軽減し、パフォーマンスの維持にも有効であることが明らかになっています。眠りには、急速眼球運動を伴うレム睡眠と伴わないノンレム睡眠の2種類があり、ノンレム睡眠の睡眠段階3は徐波睡眠(深睡眠)と呼ばれ、脳の休息と回復、成長に関与し、入眠後90分程度で最初のレム睡眠が出現し、情報制御に関する点検と更新が行われていると考えられています。その為、入眠に要する時間も加味して疲労の回復には120分間の仮眠が推奨されていますが夜勤中にとる仮眠取得時間は限られています。今回、16時間夜勤(16:00-09:00)を想定し、120分間の仮眠を1回にまとめてとる単相性仮眠と120分間を90分間と30分間に分けてとる分割仮眠と比較した結果、仮眠を分割することで早朝の眠気を抑え、特に疲労感の低減効果に優れていることを明らかにしました。 この研究成果は、長時間夜勤に従事する看護師や、夜間に危険を伴う作業に従事する労働者など、長時間集中力の維持を可能とし、労働者の健康にも有効な仮眠のとり方の確立に繋がることが期待されます。   概要 広島大学大学院医系科学研究科基礎看護開発学 折山早苗教授は、これまでに看護師の労働環境、特に夜勤時の仮眠について研究し効果を検証してきました。今回、これまでに収集した実験データを再分析し、16時間夜勤を伴う2交代制勤務の看護師の一般的な夜勤の時間帯を想定し120分間の仮眠(22:00-00:00)をまとめてとる単相性仮眠条件1)、90分間(22:30-00:00)と30分間(02:30-03:00)に分けた分割仮眠条件2)、仮眠をとらない仮眠条件3)の3条件を睡眠状態、心拍変動、眠気や疲労感、クレペリン検査による計算数を比較検討しました。   結果、仮眠時の平均の睡眠時間は、120分間仮眠が93.1分間、90分間仮眠が68.4分間、30分間仮眠が20.1分間で、睡眠効率*1の平均はいずれも90%以上、睡眠潜時*2の平均は10分以下でした。仮眠間で統計的な違いを認めませんでした。仮眠時の睡眠状態と仮眠直後の体温、眠気、疲労感、計算数の相関関係から、総睡眠時間が長いと120分仮眠は疲労感が増加し、30分仮眠は眠気が増加することが明らかになりました。また、90分仮眠は睡眠潜時が短いと、体温が上昇し、眠気や疲労感も増加することが示されました。 仮眠をとらない条件は早朝に眠気や疲労感が増加しましたが、仮眠を2回に分けてとった分割仮眠条件が、仮眠を1回にまとめてとった単相性仮眠条件よりも早朝の眠気を抑え、疲労感の低減効果に優れていることを確認しました。本研究成果は、夜間睡眠が限られる長時間の夜勤状況下においては、1回の仮眠をとるよりも2回に分けて仮眠をとる方が、眠気や疲労感の低減に繋がることが示されました。また、仮眠をとる時刻や時間で覚醒時の体温や眠気や疲労感に影響することが明らかになりました。  本研究成果は、夜勤に従事する労働者の疲労感の改善、覚醒水準維持のための有効な仮眠のとり方を開発する基礎資料として役立てられることが期待されます。 本研究成果は、2023年6月18日に国際科学誌「Scientific Reports」に掲載されました。   論文情報 掲載誌:Scientific Reports 論文タイトル:Effects of 90- and 30-min naps or a 120-min nap on alertness and performance: reanalysis of an existing pilot study 著者名:Sanae Oriyama 広島大学大学院医系科学研究科基礎看護開発学 DOI:https://doi.org/10.1038/s41598-023-37061-9   背景 夜勤時にとる仮眠には、記憶力や学習能力の向上、覚醒水準の維持や疲労の改善に効果があります。さらに仮眠は、ヒューマンエラーのリスクを低減することで安全性を高める可能性もあります。 看護師は、患者サービスを24時間提供する職務の性質上、交代制勤務が不可欠です。看護師の交代制勤務で最も長時間の夜勤は16時間とされ、看護師の疲労や眠気の増加による医療安全に対するリスクの増大が危惧されています。こうした状況の中、夜勤時にとる仮眠の効果が注目され、16時間夜勤に従事する看護師の多くは仮眠をとっていますが、眠気や疲労、作業能力を維持するため有効な仮眠のとり方は十分に明らかになっていません。   これまでの仮眠研究は、昼間にとる15分間の仮眠など短時間仮眠の有効性が明らかにされていますが、夜間の仮眠については、120分間以上の仮眠が推奨されています。しかしながら、看護師の勤務は、交代で休憩に入るため、仮眠の取得時刻や時間は一様ではありません。そのため、120分間の仮眠の取得時刻によっては、長時間の夜勤終了時まで効果を持続することは難しい場合もあります。そこで、今回、120分間の仮眠をまとめてとる場合と90分間と30分間に分割して仮眠をとる場合を比較し、仮眠による眠気や疲労感の変化を明らかにしました。   研究成果の内容 本研究は、これまでに実施した実験結果を再分析しました。睡眠に影響する因子として、年齢や女性ホルモンが影響し、夜勤従事者は夜勤慣れが生じると言われています。中高年齢期の睡眠は加齢とともに質が悪くなり、女性では性周期も影響し黄体期に比較的倦怠感が強く、眠気も増加傾向となります。また、看護師の多くが女性であることを考慮し、対象者は、夜勤経験のない大学4年次の女子学生とし、黄体期を避けてデータを収集しました。単相性仮眠条件(仮眠時刻:22:00-00:00)1)を14人、分割仮眠条件(仮眠時刻:22:30-00:00、02:30-03:00)2)12人、仮眠なし条件3)を15人の計41人を対象として仮眠の効果を検証しました。夜勤時間帯を16:00-09:00とし、実験開始から終了まで心拍変動より自律神経活動を確認するためアクティブトレーサー(GMS Inc., Tokyo, Japan)を装着しました。1時間毎に口腔温を測定し、眠気や疲労感の自覚的評価としてVisual analog scaleを使用しました。また、クレペリン検査による1桁の計算を10分間実施しました。毎時間、測定時間を20分間、自由時間20分間、安静時間を20分間としました。なお、前日から実験後までアクチグラフ(Ambulatory Monitoring Inc., Ardsley, NY, USA)を非利き手に装着し、睡眠状況も確認しました。   結果、仮眠時の平均の睡眠時間は、120分仮眠が93.1分間、90分間仮眠が68.4分間、30分間仮眠が20.1分間で、睡眠効率はそれぞれ90.5%、96.2%、99.1%、睡眠潜時は8.6分間、9.3分間、5.8分間で、睡眠効率、睡眠潜時は仮眠間で統計的に違いを認めませんでした。睡眠状態と仮眠直後の体温、眠気、疲労感、計算数の相関関係の結果から、総睡眠時間が長ければ120分仮眠は覚醒時に疲労感が増加し、30分仮眠は眠気が増加することが明らかになりました。また、90分仮眠は睡眠潜時が短いと、覚醒時に体温が上昇し、眠気や疲労感も増加することが示されました(表)。この結果から、22:00に120分間の仮眠をとる場合は120分間よりやや短い時間とする方が覚醒時の疲労感を抑える可能性が示されました。また、22:30に90分間の仮眠をとる場合には、昼間に短時間の仮眠をとり睡眠欲求を低減することが必要かもしれません。さらに、02:30に30分間の仮眠をとる場合も30分間より短時間にすることで、覚醒時の眠気を抑えることができるかもしれません。   仮眠をとらない条件は早朝の04:00-09:00に眠気や疲労感が増加し、計算数も低下しました。計算数については、仮眠をとった条件と仮眠をとらなかった条件で同様に低下しました(図A)が、疲労感は、仮眠を2回に分けてとった分割仮眠条件が、仮眠をまとめてとった単相性仮眠条件よりも04:00-09:00の期間、有意な疲労感の低減効果を認めました(図B)。また、眠気についても、仮眠直後に一時的に増加しましたが、分割仮眠条件は06:00までは眠気が少なく覚醒水準の維持効果を確認しました(図C)。   今後の展開 本研究では、120分間仮眠を90分間と30分間に分割しその効果を確認しましたが、今後は仮眠直後の一時的な眠気や疲労感の増加を防ぐ方法を組み合わせたり、仮眠環境の整備をしたりすることで夜勤時の疲労や眠気を理由に離職する看護師の離職防止にもつなげることが期待されます。 さらに将来的には、看護師だけでなく夜行バスのドライバーや交代制勤務に従事する工場で働く労働者などを対象として、夜勤中に覚醒水準の維持が必要とされる時間帯に合わせた仮眠のとり方を開発することで、労働者の心身の負担軽減と安全安心な職場環境の醸成にも期待されます。   参考資料   用語説明 *1睡眠効率:入眠から起床までの時間帯に占める全睡眠時間の割合(%) *2睡眠潜時:静止期時間帯の始まりから入眠までの時間(分)   報道発表資料(722.01 KB) 掲載誌:Scientific Reports 研究者ガイドブック(折山 早苗 教授)   【お問い合わせ先】 大学院医系科学研究科基礎看護開発学折山早苗 Tel:082-257-5355 E-mail:oriyama*hiroshima-u.ac.jp (注: *は半角@に置き換えてください)

    • 医療/ヘルスケア
    2026.03.16
    • 医療/ヘルスケア
    脳の神経細胞の成長を導く新たな仕組みを発見 ― 神経再生医療への応用可能性に期待 ―

    概要 広島大学大学院医系科学研究科の田中 茂 准教授を中心とする研究チームは、脳の神経細胞が分化をはじめるとき、ごく初期の段階で「GPR3」という受容体が働き、それが他の遺伝子の活動を引き起こしていることが分かりました。 神経分化の最初期で働く遺伝子に、細胞膜に存在する受容体がかかわる例はこれまでほとんど報告されていません。本研究は、受容体が分化初期の遺伝子発現制御に直接関与するという新しい概念を提示するものであり、神経発達研究の枠組みに新たな視点を加える成果です。 本研究成果は、2026年2月19日に国際学術誌「iScience」(Cell Press)に掲載されました。 発表論文 論文タイトル: GPR3 Is an Immediate Early Gene–Like GPCR Regulating CREB Dependent Neuronal Differentiation 著者: 田中 茂*、猪川文朗、白榊紘子、原田佳奈、秀 和泉、酒井規雄 (*責任著者) 所属: 広島大学 大学院医系科学研究科 神経薬理学 掲載誌:iScience(Cell Press) 掲載日:2026年2月19日 DOI:10.1016/j.isci.2026.114944 背景 私たちの脳は「神経細胞」から成り立ちます。はじめは未熟な細胞としてうまれ、そこから神経細胞としての形を少しずつつくり、さらに他の神経細胞とつながることで、脳の機能を果たせる神経細胞へと成長していきます。この過程を「分化」といいます。具体的には、脳の中で神経細胞が別の神経細胞とシナプスという接点でつながり、巨大なネットワークをつくることで、記憶、学習、思考などの働きが生まれます。このネットワークを「神経回路」といいます。 しかし、この神経回路がどのようにして作られるのか、つまり、神経細胞がどのタイミングで分化を始めるのか、どの遺伝子が働くのか、どの神経細胞同士がつながっているのか、などについては、まだ完全にはわかっていません。脳の働きを理解するために、神経細胞がどのようにして成熟し、脳の回路を形成するのかを把握することは、脳科学の重要な課題です。 研究成果 神経細胞は、外部からの刺激を受けると、遺伝子発現を段階的に切り替えながら分化・成熟していきます。本研究では、神経細胞に発現する受容体GPR3が、神経分化のごく初期段階で遺伝子発現制御に関与し、その後の神経回路形成を方向づける役割を担うことを明らかにしました。 これまで、神経分化の初期に働く遺伝子の多くは、転写因子など細胞内で機能する分子として知られてきました。刺激を受けた直後に一過性に誘導され、次の遺伝子発現を制御するこれらの遺伝子は「最初期遺伝子(Immediate Early Gene; IEG)」と呼ばれています。一方で、細胞膜に存在する受容体が、このような初期遺伝子制御に関わる例はほとんど報告されていませんでした。 本研究では、神経分化刺激によりGPR3遺伝子が刺激後1~2時間の早期に一過性に上昇した後、いったん低下し、その後再び持続的に発現が上昇する早期一過性上昇と後期持続的上昇からなる二相性の発現パターンを示すことを見出しました。さらにGPR3は、転写因子CREBによる制御を受けながら、細胞内のシグナル伝達を増幅し、転写因子NR4Aファミリーの発現誘導に関与することが示されました。 NR4A1は転写因子としてシナプス前タンパク質Synapsin1の発現を制御しており、GPR3を欠損したマウス由来神経細胞では、Synapsin1の発現低下とシナプス前終末の形成低下が認められました。 これらの結果から、GPR3は最初期遺伝子様の発現パターンを示し、遺伝子発現ネットワークを介してシナプス形成に関与する新たな分子機構の一端が明らかになりました。 今後の展開 GPR3を起点とする「分化初期の受容体による遺伝子制御」という新しい仕組みは、神経発達や学習・記憶の分子基盤の理解を深める成果です。今後は、生体脳内での機能解析や脳梗塞などの病態モデルを用いた研究を進めることで、神経再生医療への応用可能性について検討を進めていく予定です。 参考資料 GPR3による分化初期遺伝子制御機構の模式図 神経分化刺激によりCREBが活性化され、GPR3遺伝子の発現が刺激後早期に一過性に上昇する。誘導されたGPR3は細胞内シグナル伝達を増幅し、転写因子NR4Aファミリーの発現を促進する。NR4A1はSynapsin1遺伝子の転写を活性化し、シナプス前終末形成を制御する。 図1: 本研究の要点 <用語解説> ■ 神経分化 未成熟な神経細胞が成長し、形態や機能を変化させて成熟した神経細胞になる過程。 ■ シナプス 神経細胞同士が情報をやり取りする接点。学習や記憶の基盤となる構造。 ■ Gタンパク共役型受容体(GPCR) 細胞膜に存在する受容体の一種。外部からの刺激を受け取ると、細胞内にシグナルを伝える分子群。 ■ 最初期遺伝子(Immediate Early Gene; IEG) 細胞が刺激を受けた後、比較的短時間(数十分〜数時間程度)で一過性に発現が増加する遺伝子群。次に働く遺伝子の発現を方向づける役割をもつ。 ■ CREB 細胞内シグナルに応答して活性化され、特定のDNA配列に結合して遺伝子の転写を促進する転写因子。 ■ NR4Aファミリー 刺激に応答して発現が増加する転写因子群。本研究ではGPR3の働きによって誘導されることが示された。 ■ Synapsin1 シナプス前終末に存在するタンパク質で、神経伝達物質の放出やシナプス形成に重要な役割をもつ。 報道発表資料(271.77 KB) 研究者ガイドブック(田中 茂准教授) 【お問い合わせ先】 広島大学 大学院医系科学研究科 神経薬理学 准教授 田中 茂(たなか しげる) E-mail:tanakamd@hiroshima-u.ac.jp

    • 医療/ヘルスケア
    2025.12.10
    • 医療/ヘルスケア
    口内の歯周病菌(F. nucleatum)の多さが、 多発性硬化症の重症度と関連することを明らかにしました

    本研究成果のポイント 多発性硬化症の患者では、舌苔中の歯周病菌 Fusobacterium nucleatum の多さが、身体障害の重症度(EDSS)と関連していることが明らかになりました。 概要 広島大学大学院医系科学研究科 脳神経内科学および広島大学病院 口腔総合診療科の共同研究により、多発性硬化症の患者の舌苔中で、歯周病菌 Fusobacterium nucleatum(フソバクテリウム・ヌクレアタム; F. nucleatum)が多いほど、身体障害の重症度(EDSS)が高い傾向があることが明らかになりました。 本研究成果は学術誌「Scientific Reports」に掲載されました。 また、本研究は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。 背景 多発性硬化症(MS)は、脳や脊髄などの中枢神経を覆う「髄鞘」がという膜が傷つくことで、歩行障害や感覚障害などが生じる自己免疫性の脱髄疾患です。MSの発症・進行には腸内細菌叢の異常などの環境要因が関与すると報告されています。一方で、口腔内にも様々な細菌(口腔マイクロバイオーム)が多数存在し、関心が高まっています。 研究成果の内容 今回私たちの研究チームでは、F. nucleatumという菌に着目しました。F. nucleatum は歯周病の原因菌であり、他の菌とくっつくことで、歯周病だけでなく血管内皮障害や血液脳関門の破綻など、多くの病気に関与することが報告されています。本研究は、多発性硬化症患者で口腔内の歯周病菌と重症度の関連を臨床的に示した初めての報告です。 • 対象:自己免疫性脱髄疾患患者98例(MS 56、NMOSD 31、MOGAD 11) • 方法:舌苔サンプルを採取し、qPCR法で歯周病菌(F. nucleatum, P. gingivalis, P. intermedia, T. denticola)の相対存在量を測定 • 結果: • MS患者のうち、F. nucleatum の相対存在量が高い群では、EDSS ≥ 4 の割合が有意に高く(61.5 % vs 18.6 %, p = 0.003)、多重比較補正後も有意差が維持されました(p = 0.036)。 ・ F. nucleatum と他の歯周病菌を同時に多く有する「共存群」では、MS患者にて重症例(EDSS ≥ 4)の割合がさらに高く(37.5 % vs 10.0 %, p = 0.015)。この共存傾向が重症化と関連する可能性が示唆されました(参考資料の図参照)。 ・ NMOSDおよびMOGADでは同様の関連は認められず、F. nucleatum の関与はMSに特異的な傾向を示しました。 つまり、多発性硬化症の患者で、舌の細菌の中に歯周病菌「Fusobacterium nucleatum(F. nucleatum)」が多い人ほど、身体障害が重いことが初めて確認されました。 今後の展開 より大規模な多施設共同研究により、F. nucleatum の関与メカニズムを免疫学的に検証します。 サイトカイン解析やメタゲノム解析を組み合わせ、口腔―腸―中枢神経の炎症連関(oral–gut–brain axis)の全体像を解明します。 将来的には、歯科的介入(口腔ケアや歯周治療)による疾患修飾療法(病気の原因や進行に直接作用し、そのスピードや重症度を変化、抑制させる治療法)の可能性を探る臨床研究へ展開する予定です。 発表論文 掲載誌:Scientific Reports 論文タイトル:The periodontal pathogen Fusobacterium nucleatum is associated with disease severity in multiple sclerosis 著者:Hiroyuki Naito, Masahiro Nakamori*, Hiromi Nishi, Megumi Toko, Tomoko Muguruma, Hidetada Yamada, Takamichi Sugimoto, Yu Yamazaki, Kazuhide Ochi, Hiroyuki Kawaguchi, Hirofumi Maruyama DOI:10.1038/s41598-025-22266-x 参考資料 図F. nucleatum および他の歯周病菌の相対存在量が高い患者の割合(%) MS、NMOSD、MOGADの3群において、F. nucleatum と他の歯周病菌がともに高い相対存在量を示す患者の割合をEDSSスコア別に比較しました。MS群ではEDSS≧4の患者で高割合を示し(37.5% vs 10.0%, p=0.015)、NMOSDとMOGADでは有意差を認めませんでした。MSにおけるF. nucleatum共存菌の増加が疾患重症化と関連する可能性が示唆されました。   用語解説 多発性硬化症(MS):中枢神経の脱髄を特徴とする自己免疫疾患です。再発と寛解を繰り返しながら進行し、歩行障害や視力障害を呈します。 EDSSスコア:Expanded Disability Status Scale。0–10で身体障害の程度を評価する国際的指標です。 歯周病菌 Fusobacterium nucleatum:嫌気性グラム陰性桿菌で、歯周病の主要原因菌のひとつです。他の細菌を凝集させてバイオフィルムを形成する“架け橋菌”として知られ、炎症性サイトカインを誘導して免疫応答を活性化させます。近年では、神経や血管、消化管など様々な臓器の炎症性疾患への関与も指摘されており、当科の研究でも本菌に対する血清抗体価が脳卒中の予後不良と関連することを報告しています。 マイクロバイオームヒトの体に共生する微生物(細菌・真菌・ウイルスなど)の総体   【プレスリリース】口内の歯周病菌(F.nucleatum)の多さが、多発性硬化症の重症度と関連することを明らかにしました.pdf(362.78 KB) 掲載誌:Scientific Reports 研究者ガイドブック(内藤裕之助教)   【問い合わせ先】 広島大学大学院医系科学研究科 脳神経内科学 TEL:082-257-5201 FAX:082-505-0490 助教 内藤 裕之 講師 中森 正博 E-mail:naitohi6@hiroshima-u.ac.jp

    • 医療/ヘルスケア
    2026.01.19
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    血圧上昇に関わる分子が膀胱がんを進行させる可能性があることが明らかに -高血圧治療薬が膀胱がん治療に役立つ可能性-

    本研究成果のポイント 血圧調整を行う「AGTR1」という受容体が多いほど、膀胱がんが進行しやすく再発しやすいことを発見しました。 高血圧の治療に広く使われているアンジオテンシンII受容体阻害薬(ARB)が、「AGTR1」の発現が高い膀胱がんの進行を抑制し得る可能性を示しました。   概要 広島大学の研究チーム(広島大学 原爆放射線医科学研究所 疾患モデル解析研究分野 神沼 修教授、大学院生の山中 亮憲さんら)は、血圧調整に関わる遺伝子と膀胱がんの進行の関係を調べました。その結果、血圧調整の役割をもつ受容体「AGTR1」の発現が高い膀胱がんの患者さんは、治療成績が良くないことを見出しました。また「AGTR1」の発現が高い膀胱がん細胞は、血圧の上昇に作用するホルモンである「アンジオテンシンII(AngII)」の影響下で進行が早まる一方、高血圧の薬であるARBにより抑えられる可能性を示しました。この研究成果は、広島大学から論文掲載料の助成を受け、日本高血圧学会が出版する国際学術誌『Hypertension Research (Q1)』に掲載されました。   論文タイトル Angiotensin II Type 1 Receptor Signaling Promotes Bladder Cancer Progression and Its Inhibition by Losartan   著者 Ryoken Yamanaka, Kento Miura, Norimasa Yamasaki, Sawako Ogata, Megmi Nakamura, Toshiya Inaba, Anarkhuu Bold-Erdene, Uyanga Enkhbaatar, Fatemeh Beygom Mirkatouli, Shuka Miura, Naohisa Hosomi, Kohei Kobatake, Kenshiro Takemoto, Yuki Kohada, Ryo Tasaka, Tomoya Hatayama, Kazuma Yukihiro, Hiroyuki Shikuma, Kyosuke Iwane, Nobuyuki Hinata and Osamu Kaminuma* *:責任著者 DOI :10.1038/s41440-025-02535-y   背景 私たちの体の中では、さまざまなホルモンシステムが複雑かつ多様な働きをしています。その中のひとつ、「レニン-アンジオテンシン系」は、血圧や体液の調整に関わるホルモンシステムです。血圧が下がると、「レニン-アンジオテンシン系」により「アンジオテンシンII(AngII)」というホルモンがつくられ、これが細胞の表面にある「AGTR1」という受容体と合わさることで、血管を締めたり、水分や塩分をためる働きをして血圧を上昇させます。 この「AGTR1」の働きが、乳がんや肝臓がんなどを進行させる可能性が近年報告され始めています。実際に、膀胱がんの治療において、レニン-アンジオテンシン系に作用して高血圧を治療する薬剤を内服している患者さんでは、治療成績が良いことを示唆する臨床データが報告されていました。 しかし、「AGTR1」が本当に膀胱がんの進行に関わるのかは、その分子メカニズムも含め明らかにされていませんでした。   研究成果の内容 今回の研究では、さまざまながん患者さんの遺伝子情報を網羅した大規模データベースを用いて解析しました。「AGTR1」の発現が高い膀胱がんの患者さんは、発現が低い患者さんに比べて全生存期間が短いことが明らかとなりました。また、広島大学病院の患者さんの手術検体を用いた解析を行った結果、「AGTR1」の発現が高い膀胱がんの患者さんは、手術後の再発率が高いことがわかりました(図1)。 「AGTR1」の発現が高い膀胱がん細胞を人工的に作ったところ、それだけではがん細胞の挙動に変化はありませんでした。しかし、「AGTR1」に結合する血圧上昇ホルモンの「アンジオテンシンII(AngII)」を作用させると、「AGTR1」発現が低い膀胱がん細胞には影響がなかったのに対し、「AGTR1」発現が高い細胞は進行性が高まることがわかりました(図2)。   この「アンジオテンシンII(AngII)」と「AGTR1」の結合をブロックするアンジオテンシンII受容体阻害薬(ARB)という薬があり、既に高血圧治療に広く用いられています。そこで、ARBの一種である「ロサルタン」を作用させて同様の実験を行ったところ、「アンジオテンシンII(AngII)」による膀胱がん細胞の進行性が高まるのを抑えることができました。また、「AGTR1」に「アンジオテンシンII(AngII)」が結合することによって、細胞内の蛋白質リン酸化酵素ERKを介するシグナル伝達経路や、上皮間葉転換、エネルギー代謝に関わる経路が活性化され、それらが膀胱がん細胞の進行性に大きく関わっていることが明らかになりました。 次に、この膀胱がん細胞を皮下移植したマウスモデルを作って調べたところ、「AGTR1」発現の高いがん細胞では、それが低い細胞に比べて腫瘍が増大することがわかりました。また、これらのマウスに「ロサルタン」を内服させることによって、「AGTR1」を高発現する膀胱がん細胞の腫瘍増大が抑制される傾向がみられました(図3)。   今後の展開 「ロサルタン」をはじめとするARBは、既に高血圧治療に広く用いられている安全安価な薬剤です。膀胱がん細胞における「AGTR1」の発現量を早期に調べることで、患者さんの治療成績を向上できる可能性や、「AGTR1」の発現が高い患者さんに対する新たな治療薬として、ARBが役立つ可能性についての検証が期待されます。今後は、前向き研究に基づいた患者さんのデータ集積を行うことが重要となります。   参考資料 レニン-アンジオテンシン系:血圧や体液量の調節に関わるホルモンシステム。 AGTR1:血圧上昇ホルモンであるAngIIの受容体。 ARB:AngIIとAGTR1の結合をブロックすることで血圧上昇を抑制し、高血圧治療に使用される薬剤。ロサルタン、テルミサルタンなど。 ERK:細胞が生存、増殖するための細胞内シグナルを伝える蛋白質リン酸化酵素。 上皮間葉転換:上皮細胞が形質転換して間葉系細胞(結合組織など)の特徴を獲得するプロセス。細胞の接着性が低下し、運動性が高まることで、がん細胞の周辺組織への拡がり(浸潤)や、血液・リンパ流を介した他臓器への転移(遊走)に関わる。   図1:広島大学病院で膀胱がん摘出手術を受けた55人の患者さんのがん組織を調べたところ、34人(61.8%)のがんがAGTR1を高発現していました(A)。また、AGTR1の発現が高い患者さんのグループは、術後の再発、転移までの期間が有意に短い結果となりました(B)。 図2:AGTR1を高発現する膀胱がん細胞を人工的に作り、浸潤能(周囲組織へ広がっていく能力)を調べました。AGTR1の発現が高い細胞(◆)では、AngIIを投与すると浸潤能が高まることが明らかになりました。 図3:AGTR1を高発現する膀胱がん細胞をマウスの皮下に移植し、ロサルタンの効果を調べました。ロサルタンを投与したマウス(●)では、投与していないマウス(◆)に比べ、腫瘍の増大が抑制される傾向がみられました。   報道発表資料(333.07 KB) 掲載ジャーナル:Hypertension Research 研究者ガイドブック(神沼 修 教授)   【お問い合わせ先】 広島大学原爆放射線医科学研究所疾患モデル解析研究分野 教授神沼修 Tel:082-257-1556FAX:082-255-8339 E-mail:okami@hiroshima-u.ac.jp

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    • 医療/ヘルスケア
    2026.02.26
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    ウニ胚と幼生の発生過程を単一細胞レベルで追跡できるデータベースを公開

    ウニ胚や幼生の神経細胞は、細胞数が少なく、神経分化の流れや分子制御を詳細に追跡することが容易ではありません。今回、バフンウニについて、発生段階ごとの単一細胞RNA-seqアトラス(細胞分布データ集)を構築し、誰もが手軽に1細胞レベルでの遺伝子発現を調べられる形で公開しました。   単一細胞RNAシーケンス(single-cell RNA-seq; scRNA-seq)は、個々の細胞がどの遺伝子を発現しているかを網羅的に解析できる強力な手法です。生物の発生過程では、同じ胚の中でも細胞が多様な運命へ分岐していきますが、scRNA-seqを用いると、細胞集団全体を平均した解析(バルクRNA-seq)だけでは捉えきれない「細胞ごとの違い」を明らかにすることができます。しかしながら、ウニ胚や幼生の神経細胞のように細胞数が少ない細胞集団は、解析データの中で埋もれやすく、神経分化の流れや分子制御を詳細に追跡することは困難です。 本研究では、バフンウニHemicentrotus pulcherrimusの胚発生(受精後24〜96時間)にわたるscRNA-seqアトラス(細胞分布データ集)を構築し、発生段階に沿った細胞状態の変化を単一細胞レベルで体系的に整理しました。さらに、隣接する細胞の相互作用を薬理学的に阻害して、神経分化を増強させることで、通常条件では検出が難しい神経系の細胞集団や関連遺伝子群をより明瞭に捉えることに成功しました。得られたデータは、日本産ウニのゲノムデータベース(HpBase)にて公開し、計算解析に不慣れな研究者でも直感的に遺伝子発現を探索できる研究基盤として整備しました。   研究代表者 筑波大学生命環境系 谷口 俊介准教授 千葉大学大学院医学研究院 露崎 弘毅特任講師 広島大学ゲノム編集イノベーションセンター 山本 卓教授 国立遺伝学研究所遺伝情報分析研究室 池尾 一穂准教授   研究の背景 ウニは古くから発生生物学注1)の代表的な実験材料として用いられ、受精・卵割・原腸形成・細胞運命決定といった基本原理の解明に大きく貢献してきました。透明で操作しやすい胚を大量に得られる点に加え、外部からの処理や観察を組み合わせた実験設計に適しているという特徴があります。しかしながら、マウスやショウジョウバエなどの典型的なモデル生物と比較すると、系統維持や遺伝学的手法の蓄積には制約があり、近年急速に発展してきたゲノム解析注2)やトランスクリプトーム解析注3)などの大規模なデータ基盤は十分に整備されていません。 特に神経系の発生は、複数の細胞系列が精密に分化、配置される過程であり、限られた数の神経細胞やそのターゲットとなる細胞が時間とともに変化していくため、網羅的に捉えることが難しい研究対象です。実際にウニ胚や幼生においては、神経細胞は全細胞の中で相対的に少数であるため、単一細胞RNAシーケンス解析(scRNA-seq)注4)を行っても神経クラスターが小さくなり、神経分化を駆動する転写因子やシグナル経路を同定する際の感度が課題となっていました。そこで本研究では、発生段階を通したscRNA-seqアトラス(細胞分布データ集)の構築に加え、解析で見えにくい細胞集団を見えやすくするために、神経分化に強く関与するDelta–Notch経路注5)を実験的に抑制して神経細胞系列を増やし、ウニ神経発生の分子基盤をより高解像度で捉えることを目指しました。   研究内容と成果 本研究ではまず、バフンウニ(Hemicentrotus pulcherrimus)の受精後24、36、48、72、96時間という発生の主要段階から単一細胞データを取得し、発生が進むにつれて細胞集団がどのように分岐し、多様化していくのかを可視化できるscRNA-seqアトラス注6)を構築しました。これにより、ウニ胚発生における細胞状態の連続的変化を単一細胞解像度で追跡できるだけでなく、細胞種・細胞系列ごとに特徴的な遺伝子発現プロファイルを参照できる「地図」として機能する基盤が整いました。 次に、胚に対して、Delta–Notch経路(細胞間の相互作用)を阻害する薬剤処理を行い、神経分化が増強される条件を作り出しました。その結果、神経系に相当する細胞集団が相対的に増加し、通常条件では小さくなりがちな神経関連クラスターや、その中で発現する神経分化関連遺伝子がより明確に検出できるようになりました。これは、scRNA-seqの弱点である「少数細胞集団の見えにくさ」を実験操作で補い、神経発生の分子制御の理解を促す有効なアプローチであることを示しています。 このようにして得られた単一細胞データは、研究活動に幅広く活用できるよう、日本産ウニのゲノムデータベースHpBaseにて公開し、フリーソフトKana注7)を用いて解析できるプロトコルを示しました(参考図)。これにより、特定の遺伝子の発現がどの細胞集団で、どの発生段階に現れるのかを直感的に探索でき、計算解析に不慣れな研究者でも実験計画や仮説検証に利用しやすくなります。また、scRNA-seqアトラスを参照として用いることで、細胞集団全体を平均した解析(バルクRNA-seq)の結果から細胞タイプ組成の変化を推定する枠組みも提示し、従来のバルク解析とscRNA-seqを橋渡しする実用的な解析フローを確立しました。   今後の展開 本研究成果は、ウニ神経発生の理解を深めるだけでなく、非モデル生物におけるscRNA-seqの活用を促進し、発生・進化・比較生物学を横断した研究展開に資する基盤になると期待されます。   参考図 図本研究で構築したウニ胚と幼生の単一細胞RNA-seq(scRNA-seq)アトラス ウニ胚と幼生の発生ステージ(Stages of embryo/larvae、上段)に沿って、受精後24、36、48、72、96時間における細胞集団のscRNA-seq解析結果をアトラス(Single-cell scRNA-seq atlas)として整理した。各時点の細胞は、対照(Control、紫)と薬剤処理(Reagent、緑)で色分けして示した。薬剤は受精後16時間に添加し、その後の細胞状態の変化を単一細胞レベルで比較できる。特定領域を拡大すれば、処理条件ごとに目立つ細胞集団の変化を直感的に把握できる。得られたscRNA-seqアトラスはデータベースHpBase上で公開し、ブラウザ上で遺伝子発現の探索が可能。   用語解説 注1) 発生生物学 たった一つの細胞である受精卵から体が形作られるまでの分子メカニズムを解明する学問。細胞内外のシグナル分子の働きと、DNAに結合して遺伝子発現を調節する転写因子の機能解析などを通じて、時間的空間的にその生物個体に何が起きているのかを明らかにする。 注2) ゲノム解析 生物がもつ全DNA配列(ゲノム)を読み取り、遺伝子の種類、配置、変異を調べる解析。これにより生物の形質や進化、疾患、適応の基盤を理解する。 注3) トランスクリプトーム解析 細胞や組織で実際に転写されている全RNA(主にmRNA)を網羅的に測定する解析。どの遺伝子がどれくらい使われているかを示し、発生段階、細胞種、条件差による発現変化を捉える。 注4) 単一細胞RNAシーケンス(scRNA-seq) 多細胞生物の体を構成する細胞に発現しているmRNAを細胞ごと網羅的に解析する手法。 注5) Delta-Notch経路 隣接する細胞が相互作用することで互いに異なる運命をもたらすメカニズムで、多くの動物の神経細胞分化の過程で見られる。DeltaとNotchはいずれも細胞膜上の膜タンパク質で、隣接する一方の細胞のDeltaがもう一方の細胞のNotchと結合することで、この細胞でのDeltaの発現を抑制し、役割の異なる細胞を分化させる。 注6) アトラス 細胞・組織・遺伝子発現などを網羅的にまとめたデータ集。単一細胞RNA-seqアトラスは、発生段階や臓器ごとに、存在する細胞タイプや遺伝子発現の分布を細胞単位で示す参照地図。 注7) Kana scRNA-seqの結果をブラウザ上で直感的に閲覧・探索できるフリーソフト。遺伝子の発現パターン、クラスター(細胞集団)、細胞タイプの違いを可視化できる。   研究資金 本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「多細胞システムにおける細胞間相互作用とそのダイナミクス」研究領域(JPMJPR194C, JPMJPR1945;2019-2022年度)、科学技術振興機構(JST) 研究成果展開事業が助成するA-STEP(JPMJTR204E; 2019-2024年度)、日本学術振興会が助成する科学研究費基盤研究(B)(23K23933; 2022-2025年度)、(C)(23K11312;2023-2027年度)、(若手)(19K20406: 2019-2022 年度)による助成によって実施されました。   掲載論文 【題名】 Single-cell transcriptomic resources for tracing neurogenesis and cell fate specification in sea urchin embryos (ウニ胚における神経形成と細胞運命決定を解析するための単一細胞RNA-seqリソース) 【著者名】 *Koki Tsuyuzaki, Junko Yaguchi, Takashi Yamamoto, Kazuho Ikeo, *Shunsuke Yaguchi (*責任著者) 【掲載誌】 Development 【掲載日】 2026年2月26日 【DOI】 10.1242/dev.205025   【プレスリリース】ウニ胚と幼生の発生過程を単一細胞レベルで追跡できるデータベースを公開.pdf(1.1 MB) 掲載誌:Development 研究者ガイドブック(山本卓教授)   【問い合わせ先】 【研究に関すること】 谷口俊介(やぐちしゅんすけ) 筑波大学生命環境系/下田臨海実験センター准教授 TEL: 0558-22-1317 URL: https://sites.google.com/site/yaguchisea/home X@urchin_lab   【取材・報道に関すること】 筑波大学 広報局 TEL: 029-853-2040 E-mail: kohositu@un.tsukuba.ac.jp   千葉大学 広報室 TEL: 043-290-2018 E-mail: koho-press@chiba-u.jp   広島大学 広報室 TEL: 082-424-4518 E-mail: koho@office.hiroshima-u.ac.jp   国立遺伝学研究所 TEL: 055-981-5873 E-mail: prkoho@nig.ac.jp

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