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    • 環境エネルギー
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    2026.05.08
    • 環境エネルギー
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    広島大学の丸山史人教授が、米国エネルギー省JGI 2026 年度Community Science Program大型研究支援に世界でわずか14 件の採択プロジェクトの一つに日本から唯一採択 ~未解明の地下水微生物研究で国際競争を勝ち抜く快挙~

    ポイント 米国エネルギー省(Department Of Energy; DOE) Joint Genome Institute (JGI)の2026年度Community Science Program (CSP)大型研究支援公募において、世界でわずか14件の採択プロジェクトの一つに広島大学・丸山史人(まるやまふみと)教授の提案が選出されました。日本からの採択は丸山教授の1件のみです。 過去の採択実績では、プリンストン大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)、 スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校など海外トップクラスの研究機関の教授が多く、今回はプリンストン大学、シカゴ大学、デューク大学、米国やフランスの国立研究所などの研究者が参画しており、国際的にも極めて競争率が高く名誉ある成果です。 DOE-JGIのCSPプログラムでは、数十万~数百万ドル相当の大規模ゲノム解析、ハイスループットDNAシーケンス、計算資源などの支援が採択課題に無償提供されます。 CSP採択プロジェクトの多くは研究成果をNatureやScienceといった世界最高峰の学術誌に発表しており(https://jgi.doe.gov/user-science/publications)、質の高い国際共同研究が推進されています(※例:JGIによるソルガム(バイオエネルギー作物)ゲノム解析研究が2009年にNature掲載)。 丸山教授の採択課題は、未培養で未知の地下水生微生物Patescibacteria門を対象に、その共生的な生態をゲノム解析によって解明し、地下環境での物質循環の役割に迫る革新的研究です。環境中の膨大な未解明微生物の機能解明を通じ、物質循環・環境微生物学に新たな展開が期待されます。 日本からCSP大型枠に採択される例は極めて稀であり、広島大学からの採択は国際舞台における国内研究者の存在感を示す画期的な成果と言えます。   概要広島大学IDEC国際連携機構の丸山史人教授の研究プロジェクトが、米国エネルギー省(DOE)の合同ゲノム研究所(Joint Genome Institute, JGI)による2026年度コミュニティ・サイエンス・プログラム(CSP)大型研究支援公募において、世界14件の採択プロジェクトの一つに選ばれました。日本からの採択は本件のみで、他の採択者には、プリンストン大学、シカゴ大学、デューク大学、米国やフランスの国立研究所など世界的トップクラスの研究機関の教授らが名を連ねています。また、過去の採択者にも日本国内の研究者がプロジェクトの代表となっている例は確認されていません。CSP大型公募は、エネルギーの持続可能性、気候変動への対応、水・環境資源の保全といった地球規模課題の解決(DOEミッションの内容を反映)に資する大規模ゲノム科学プロジェクトを世界中から募るもので、その採択は極めて狭き門を突破したことを意味します。本採択により、丸山教授のチームはDOE-JGIから大規模なゲノム解析支援を無償提供され、最先端の環境ゲノム研究を推進します。   背景DOE-JGIはカリフォルニア州ローレンスバークレー国立研究所に拠点を置く、米国エネルギー省の合同ゲノム研究施設です。CSP(コミュニティ・サイエンス・プログラム)はDOE-JGIの主要なユーザープログラムであり、世界中の研究者が提案する斬新なゲノム科学プロジェクトに対し、シーケンス解析やデータ解析といったサービスを無償提供するものです 。特に「大型(Large-Scale)」枠の公募では、数年スケールで大量のゲノムデータを生成する野心的な提案が求められます。このCSPは、毎年公募、採択される年1回の大型公募であり、2026年度においては世界中から応募が寄せられ、その中から厳正な国際ピアレビューを経て14件のみが採択されました。また、CSP採択プロジェクトは過去に数多く画期的な成果を生み出しており、その成果論文がNature、Scienceといった著名科学誌に掲載される例も少なくありません。こうした背景から、本プログラムへの採択は研究資源の獲得だけでなく、研究の国際的な評価・発信につながる名誉ある業績と位置付けられています。 日本からDOE-JGI CSPに採択される事例はきわめて少なく、本件は数年ぶりの快挙となりました。広島大学の丸山教授の採択は、日本の環境ゲノム・微生物研究が国際舞台で高く評価された証と言えます。   研究内容今回採択された丸山教授の研究課題は、「未培養Patescibacteria門微生物の地下水における物質循環機能の解明:共生的相互作用の解析を通じて」(原題:Uncovering the roles of uncultivated Patescibacteriota in groundwater biogeochemical cycling through the analysis of symbiotic interactions)です 。Patescibacteria門(分類学上はPatescibacteriotaとも呼称)は、近年存在が明らかになった超小型細菌群で、培養が困難な「未培養微生物」の一大系統です。これらの細菌はゲノムサイズがわずか0.5~1.0百万塩基対程度(100-300nm)と極端に小さく、他の生物に普通存在する必須遺伝子の多くを欠失しており、その大半が他の微生物に寄生・共生する形で生存していると考えられています 。しかし、こうした極小細胞の微生物が地下水環境でどのような役割を果たし、他の微生物とどのように関わっているのかは未解明のままでした。 丸山教授らのプロジェクトでは、JGIの支援する大規模ゲノム解析技術を駆使し、地下水中のPatescibacteria門細菌およびその共生相手となる微生物群集のDNAを包括的に解析します。具体的には、地下水試料からメタゲノム解析を行い高品質なゲノム配列を再構築することで、Patescibacteria門に属する複数種のゲノム情報を取得し、そこに潜む代謝経路や相互作用遺伝子を明らかにします。また、得られたゲノムから推定される機能に基づき、Patescibacteriaが共生相手からどのような栄養素や代謝産物をやりとりしているのか、逆に地下水中の炭素・窒素など物質循環プロセスに与える影響を解明することを目指します。さらに、必要に応じて単一細胞ゲノム解析や分子生態学的手法も組み合わせ、Patescibacteria門細菌と他の微生物との共生関係の実態に迫ります。本研究により、地下深部の環境で長らくブラックボックスとされてきた微生物生態系の一端が解明され、新規微生物の機能や進化の謎に光を当てることが期待されます。   今後の展開丸山教授のプロジェクトは、2026年度からDOE-JGIの支援のもと本格始動します。今後数年間でテラバイト級のDNAシーケンスデータが産出され、人工知能(AI)も活用した大規模データ解析により、地下水中微生物の未知の生態が次第に明らかになっていく見込みです。得られた知見は、地下環境における炭素循環や養分循環モデルの高度化、さらには環境浄化や資源エネルギー分野への応用に貢献することが期待されます。また、本採択を契機に広島大学はDOE-JGIや海外トップ研究者との連携を一層深め、国際共同研究の展開や本課題の共同受賞者であるスマートソサイエティ実践科学研究科博士課程2年の福士宗幸氏を含めて、人材交流を促進していきます。将来的には、本プロジェクトの成果論文を国際学術誌へ発表し、広島大学発の環境ゲノム研究として世界に発信する予定です。丸山教授は「本研究により、地下に広がる未知の微生物世界の解明が進み、環境微生物学のフロンティアを切り拓きたい」と抱負を述べています。本学は引き続き最先端研究を通じて地球規模課題の解決に貢献していきます。   <Joint Genome Institute(JGI)の公式発表ページはこちら> https://jgi.doe.gov/user-science/science-stories/jgi-announces-fy26-large-scale-portfolio-our-community-science-program   報道発表資料(240.68 KB) 研究者ガイドブック(丸山 史人教授)   【お問い合わせ先】 広島大学 IDEC国際連携機構環境遺伝生態学研究分野 教授丸山史人(まるやまふみと) E-mail:fumito*hiroshima-u.ac.jp   (*は半角@に置き換えてください)

    • 気候変動/エネルギー/GX
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    • 資源
    2026.05.11
    • 気候変動/エネルギー/GX
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    • 資源
    酸素極小層から深海まで続くマンガン酸化の実態を解明 ―セリウム同位体が明らかにする海洋中の新しい物質循環モデル―

    発表のポイント 海水およびマンガンクラスト中のセリウム(Ce)安定同位体比の鉛直分布を初めて明らかにした。 酸素極小層(OMZ)内部を含め、深海に至るまで連続的にマンガン酸化物が形成されることを実証した。 海洋中のマンガン循環と希土類元素の挙動を統合的に理解する新しいモデルを提案した。 発表内容東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻のLi Wenshuai博士研究員(研究当時、現中国地質大学(武漢)教授)、高橋嘉夫教授(兼:同大学アイソトープ総合センターセンター長)、海洋研究開発機構の中田亮一主任研究員、柏原輝彦主任研究員、高知大学海洋コア国際研究所の臼井朗特任教授、東京大学大気海洋研究所の小畑元教授、漢那直也助教(研究当時、現岡山大学准教授)、名古屋大学大学院環境学研究科の淺原良浩准教授、弘前大学被ばく医療総合研究所の田副博文教授、法政大学自然科学センターの田中雅人准教授、公益財団法人高輝度光科学研究センターの河村直己主幹研究員らの研究グループは、北西太平洋において海水およびマンガンクラスト(注1)中のセリウム(Ce)安定同位体比δ142Ce(注2)の鉛直分布(注3)を詳細に解析し、酸素極小層(OMZ; 注4)から深海に至るまでマンガン(Mn)酸化物の形成が連続的に進行していることを明らかにしました。これまで、海洋におけるMnの酸化は、OMZで溶存したMn²⁺がその下部の酸素に富む層で酸化されることで主に進行すると考えられてきました。しかし、その実態は観測的に十分検証されていませんでした。 本研究では、水深10〜6000 mにわたる海水と、約900〜5500 mで形成されたマンガンクラスト試料についてCe安定同位体比を測定し、海水中ではOMZ内部で軽い同位体に富み、その下層で重い同位体にシフトする特徴的な鉛直分布が存在することを見出しました。これは、クラスト中の同位体比は周囲の海水の値を反映しており、Mn酸化物がその場で形成・沈着したことを示しています。さらに大型放射光施設SPring-8(BL01B1、BL39XU)(注5)と高エネルギー加速器研究機構の放射光実験施設(Photon Factory; BL-9A、BL-12C)(注6)においてCeやMnのX線吸収微細構造(XAFS; 注7)を測定して得た価数や局所構造の情報に基づいて、これら元素が海洋中で受ける反応も推定しました。その結果、Ceが主にマンガン酸化物に酸化吸着される過程で同位体分別が生じることが示唆され、観測されたCe同位体の鉛直分布は、Mnの酸化・沈殿が広い水深範囲で連続的に進行していることを強く示唆します。 これらの結果は、Mn酸化物が特定の深度で生成して沈降するという従来のモデルを見直し、OMZ内部を含む広範な深度での連続的な生成を想定する新しいモデルを支持するものです。本成果は、海洋におけるMnの循環と希土類元素(注8)の挙動の理解を大きく前進させるとともに、海底鉱物資源の形成過程の解明や、過去の海洋環境復元に向けた新たな地球化学トレーサー(注9)としての応用が期待されます。   発表者・研究者等情報 東京大学 大学院理学系研究科地球惑星科学専攻 Li Wenshuai 博士研究員(研究当時、現 中国地質大学(武漢)教授) 高橋 嘉夫 教授(兼 東京大学 アイソトープ総合センター センター長) 大気海洋研究所 小畑 元 教授 漢那 直也 助教(研究当時、現 岡山大学環境生命自然科学学域 准教授) 海洋研究開発機構(JAMSTEC)物質地球科学研究部門 中田 亮一 主任研究員(兼 広島大学大学院先進理工系科学研究科 客員准教授) 柏原 輝彦 主任研究員 高知大学海洋コア国際研究所 臼井 朗 特任教授 (名誉教授) 名古屋大学大学院環境学研究科 淺原 良浩 准教授 弘前大学 被ばく医療総合研究所 田副 博文 教授 法政大学 自然科学センター・文学部 地理学科 田中 雅人 准教授 高輝度光科学研究センター 河村 直己 主幹研究員 東 晃太朗 主幹研究員   論文情報雑誌名:Science Advances 題名:Cerium isotopes unveil hydrogenetic Fe-Mn encrustation occurring throughout from the oxygen minimum zone to the deep Pacific(5月1日付掲載) 著者名:Wenshuai Li,* Ryoichi Nakada, Hajime Obata, Naoya Kanna, Inhee Kim, Teruhiko Kashiwabara, Kotaro Higashi, Naomi Kawamura, Yoshihiro Asahara, Hirofumi Tazoe, Masato Tanaka, Akira Usui, Yoshio Takahashi*(*責任著者) DOI:10.1126/sciadv.aee2813 URL:https://doi.org/10.1126/sciadv.aee2813   研究助成本研究は、中国国家自然科学基金「No. 42573006、No.42550152)」、日本学術振興会「外国人特別研究員 No. P21313」、科研費「特別研究員奨励費 課題番号22F21313、22KF0083」、科研費「課題番号 24H00268、24K21564、24K22346、23H03986、22H00166、22F21313、22KK0166」、米国国立科学財団「助成金番号 OCE-2140395」、科研費「基盤研究(S) 課題番号: 26K21720」科研費「学術変革領域研究(A) 課題番号26H00438」の支援により実施されました。   謝辞本研究で行った解析は、SPring-8(課題番号:2023A1453, 2023A1455, 2024A1446, 2024A1483, 2024A1484, 2024A1486, 2024B1493, 2024B1496, 2024B1905)と、高エネルギー加速器研究機構の放射光実験施設Photon Factoryのビームラインにおいて、高エネルギー加速器研究機構の承認のもとで実施しました(課題番号:2022G126, 2024G123)。また、本研究は、東京大学大気海洋研究所の研究船共同利用プログラム(学術研究船「白鳳丸」、JURCAOSSH22-02)の支援も受けました。F. Liu氏(成都理工大学)に、Ce標準溶液(CDUT-Ce)をご提供いただいたことに感謝いたします。   用語解説(注1) マンガンクラスト:海底の岩石表面に長い時間をかけて成長する鉄・マンガン酸化物の層。 (注2) 安定同位体比(δ142Ce):同じ元素でも質量数の異なる同位体の比で、起源物質や化学反応の違いを反映する指標。 (注3)鉛直分布:水深方向に沿った変化の様子。 (注4)酸素極小層(OMZ):海水中で酸素濃度が非常に低くなる深度帯。 (注5)大型放射光施設SPring-8:理化学研究所が所有する兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す大型放射光施設で、利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っています。SPring-8(スプリングエイト)の名前はSuper Photon ring-8 GeVに由来。SPring-8では、放射光を用いてナノテクノロジー、バイオテクノロジーや産業利用まで幅広い研究が行われています。 (注6)高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造研究所放射光実験施設(Photon Factory):茨城県つくば市にある日本の放射光施設。 (注7)XAFS:X線吸収スペクトルに表れる元素の吸収端付近の微細な構造のことで、対象元素の価数や局所構造の情報が分かる分光法。 (注8)希土類元素:セリウムを含むランタノイド元素やイットリウムを含む元素群の名称で、環境や物質循環の指標として用いられる。レアアースとも呼ばれる。 (注9)地球化学トレーサー:物質の起源や移動過程を追跡するための化学的指標。   報道発表資料(425.42 KB) 論文掲載ページ (Science Advancesに移動します)   【お問い合わせ先】 東京大学大学院理学系研究科 教授高橋嘉夫(たかはしよしお) Tel:03-5841-4517E-mail:ytakaha*g.ecc.u-tokyo.ac.jp   東京大学大学院理学系研究科 E-mail:media.s*gs.mail.u-tokyo.ac.jp   東京大学大気海洋研究所附属共同利用・共同研究推進センター広報戦略室 E-mail:kouhou*aori.u-tokyo.ac.jp   海洋研究開発機構企画部門事業推進部報道室 Email:press@jamstec.go.jp   高知大学広報・校友課 Tel:088-844-8643E-mail:kh13@kochi-u.ac.jp   名古屋大学 総務部広報課 E-mail:nu_research*t.mail.nagoya-u.ac.jp   弘前大学被ばく医療総合研究所総務グループ E-mail:jm5401*hirosaki-u.ac.jp   法政大学 総長室広報課 E-mail:pr*adm.hosei.ac.jp   公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI)利用推進部普及情報課 E-mail:kouhou*spring8.or.jp   広島大学広報グループ E-mail:koho@office.hiroshima-u.ac.jp   (*は半角@に置き換えてください)

    • 環境エネルギー
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    • バイオエコノミー
    2025.11.20
    • 環境エネルギー
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    • バイオエコノミー
    ウニ幼生に光で行動を調節する脳のような神経細胞群が存在することを発見

    脳を持たないとされてきたウニ幼生に、光で行動を調節する「脳のような」の神経細胞群(中枢)を見いだしました。この神経細胞群は、脊椎動物の脳と一部共通する特徴が確認され、後口動物の共通祖先までさかのぼる脳機能の起源に関する新たな示唆を提供する結果となりました。 本研究は、ウニ幼生の前端部神経外胚葉に、非視覚性光感受性ニューロン(「見る」ためではなく、光を感じて応答する神経)の細胞群を同定しました。これにより、脊椎動物の脳に相当する「中枢」が、脳を持たないとされてきた棘皮動物(ウニ)にも存在する可能性が示唆されました。これらの神経細胞群は、光を感知するタンパク質である非視覚オプシン(Opn5L)や、脊椎動物間脳の形成を担うrx、otx、six3、lhx6などの制御遺伝子を発現します。また、この細胞領域を統合的に解析したところ、Opn5Lの機能低下で光依存的な遊泳行動が損なわれることが分かりました。こういった分子特徴は脊椎動物の脳領域のそれと一部重なることから、ウニ幼生に存在する非視覚性の光受容中枢は、後口動物の共通祖先に由来する脳機能の素地を残している可能性を示します。 非視覚オプシンを発現する神経とその周辺領域の発生過程を厳密かつ系統横断的に比較することは、脊椎動物の脳を含む中枢神経の進化や多様化の過程を解く上で、新たな理論や見解を提供すると期待されます。     【研究代表者】 筑波大学生命環境系 谷口 俊介准教授 千葉大学大学院医学研究院 露崎 弘毅特任講師 京都大学大学院理学研究科 山下 高廣講師 広島大学ゲノム編集イノベーションセンター 山本 卓教授     【研究の背景】 進化の過程における中枢神経(脳)の獲得は、ヒトを含む脊索動物の多様化を支えた重要な出来事です。しかし、神経や脳が動物進化のどの段階で生まれ、どの系統でどのように複雑化したのかは、よく分かっていません。脳・中枢神経の主要な役割は外界情報を統合して適応的な運動へ変換することであり、その起源の解明は生物学の根本課題です。 一方、後口動物注1)では、前方神経外胚葉に由来する脳領域(前脳など)が光情報処理の中核を担うと考えられ、表層には、視覚オプシン、深部には非視覚オプシン(いずれも光を感知するタンパク質)が配置されるという脊椎動物との共通性が示唆されています。しかしながら、脊椎動物と最も近縁の棘皮動物門(ウニなど)注2)には集中して存在する「脳領域」が見えにくく、前後軸の明瞭な指標も乏しいため、脊椎動物型の脳がいつ、どのように現れたかをたどることは容易ではありません。 それでも近年、前後軸が明確な成長段階であるウニ幼生で、前脳様の遺伝子発現やそれを結ぶ制御ネットワーク、さらに光などの環境情報を行動へ統合する神経回路が明らかになりつつあります。非視覚オプシン様の受容体も複数同定され、光による遊泳や消化活動の調節に関与する例が報告されています。こうした知見を踏まえ、本研究では、ウニ幼生において非視覚的な光受容を担う「脳様」領域を、遺伝子発現と機能の両面から定義し、脊椎動物の脳に通じる組織化が棘皮動物との共通祖先にさかのぼる可能性を示しました。     【研究内容と成果】 本研究では、バフンウニ(Hemicentrotsu pulcherrimus)幼生の前端部神経外胚葉に存在する「非視覚的な光受容を担う脳様領域(神経細胞群)」を単一細胞RNAシーケンス(scRNA-seq)注3)とin situ ハイブリダイゼーション注4)にて特定し、行動解析によってその機能を統合的に定義しました。幼生期の神経細胞は稀少で検出が難しいため、Delta–Notch による側方抑制注5)を阻害する薬剤を用いて神経細胞数を一時的に増やし、神経集団の解像度を高めました。その結果、これまで一様とみなされがちだったセロトニン注6)作動性ニューロンが、前方群と背側群という二つの集団に分かれており、背側群は非視覚オプシン(Opn5L)を発現していることを見いだしました(図1)。 遺伝子発現の空間解析では、背側群と前方群とでは、形態と配置のいずれもが異なること、さらに特定の転写因子セットが背側群に偏って現れることを明らかにしました。背側群の一部細胞は上皮層から脱落して移動し、前方群の近傍に合流する過程がライブイメージング注7)で観察され、移動性ニューロンとしての性質を持つことが示唆されました。これは、後口動物のうち脊索動物に特有と考えられてきた神経移動が、ウニ幼生にも備わっている可能性を示す重要な知見です。 機能面では、Opn5L の機能低下により、連続照明下で沈降(浮遊喪失)行動が有意に抑えられ、光入力が遊泳・浮沈の制御に直接関与することを実証しました。加えて、セロトニン合成関連の制御因子や領域指定因子の発現解析から、当該領域が脊椎動物の終脳/間脳と似た分子設計原理を持つことが示されました(図2)。以上より、ウニ幼生には非視覚光受容を核とする脳様中枢が存在し、環境光情報を行動へ統合する回路の一部が保存されている可能性が高いことが明らかになりました。これは、後口動物共通祖先にさかのぼる脳機能の起点を、具体的な細胞群と遺伝子プログラムとして提示する成果です。     【今後の展開】 今後は、光→行動の回路に関するより詳細な解析や、比較発生・比較ゲノミクスによる系統横断検証(棘皮・半索・脊索動物での保存/分岐の同定)を進め、非視覚オプシン中枢の普遍性と系統特異性の理解を深めます。最終的には、脳の「はじまり」の設計図を、細胞系譜、遺伝子ネットワーク、行動出力の三層で統合し、脊椎動物脳の起源と多様化に対する新しい指標の提示を目指します。   参考図 図1(左)ウニ幼生を背側から見た模式図。前端部(水色)領域は前端部神経外胚葉、つまり脊索動物でいうところの脳領域に類似する。しかし、発生初期にここに存在するセロトニン神経は単一のタイプとされ、それほど複雑さはないとみなされていた。(右)この脳領域に対してscRNA-seqを行ったところ、セロトニン神経が2集団から構成され、それぞれ異なる遺伝子発現をしていることが明らかになった。特に体の後方背側に位置する集団は非視覚オプシンとともに、脊索動物では間脳形成に関与している遺伝子群が発現していることが明らかになった。 図2前後方向に区画分けされたウニ幼生(左図)の脳様領域と、脊椎動物であるマウスの脳(右図)の比較。発現遺伝子プロファイルの比較で、前後軸に沿った類似性が見られた。   用語解説 注1) 後口動物 系統進化上、左右相称動物を大きく二つに分けた時の分類群の一つ。原腸陥入(消化管の元となる原腸が形成される過程)の際の原口(入口部分)が肛門になり、原腸の前端部が体表と接する部分に新たに口ができるグループ。脊索動物と棘皮動物、半索動物を含む。 注2) 棘皮動物門 分類学上の階級(界・門・綱・目・科・属・種)の中で、門で分類した場合のグループの一つ。ウニ、ナマコ、ヒトデ、クモヒトデ、ウミユリの仲間を含む。 注3) 単一細胞RNAシーケンス(scRNA-seq) 多細胞生物の体を構成する細胞それぞれに発現しているmRNAを細胞ごと網羅的に解析する手法。どの細胞にどのような遺伝子が発現しているのかを知ることができる。 注4) in situハイブリダイゼーション 細胞内において特定のmRNAの分布を検出する手法。特定の配列を持つmRNAにラベルをつけ、細胞内のターゲットとなるmRNAと結合(ハイブリダイゼーション)させてラベルを検出する。 注5) Delta-Notchによる側方抑制 隣接する細胞が相互作用することで互いに異なる運命をもたらすメカニズムで、多くの動物の神経細胞分化の過程で見られる現象。DeltaとNotchはいずれも細胞膜上の膜タンパク質で、隣接する一方の細胞のDeltaがもう一方の細胞のNotchと結合することで、この細胞でのDeltaの発現を抑制し、役割の異なる細胞を分化させる。 注6) セロトニン 神経伝達物質の一つ。ヒトの脳にも存在しており、精神安定など、さまざまな機能を果たしている。ウニでは、脳を構成する神経の中で最も早く形成される。 注7)ライブイメージング 光学顕微鏡を用いて生きたままの生き物の動きや細胞の変化を直接観察する手法。今回はウニ胚の細胞膜と核を蛍光タンパク質によって標識し、それをレーザー光で光らせたものを観察した。   研究資金 本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「多細胞システムにおける細胞間相互作用とそのダイナミクス」研究領域(JPMJPR194C, JPMJPR1945;2019-2022年度)、科学技術振興機構(JST) 研究成果展開事業が助成するA-STEP(JPMJTR204E; 2019-2024年度)、日本学術振興会が助成する科学研究費基盤研究(B)(23K23933; 2022-2025年度)、(C)(23K11312;2023-2027年度)、(若手)(19K20406: 2019-2022 年度)日本医療研究開発機構(AMED) 革新的先端研究開発支援事業 CREST「マルチセンシングネットワークの統合的理解と制御機構の解明による革新的医療技術開発」研究領域(22gm1510007; 2022-2027年度)、東レ科学振興会が助成する東レ科学技術研究助成(2018-2020年度)、武田科学振興財団が助成するライフサイエンス研究奨励(2015年度)による助成によって実施されました。   掲載論文 【題名】 Non-Visual Photoreceptive Brain Specification in Sea Urchin Larvae (ウニ幼生における非視覚光受容に関与する脳領域の形成) 【著者名】 #Junko Yaguchi, *#Koki Tsuyuzaki, Ikutaro Sawada, Atsushi Horiuchi, Naoaki Sakamoto, Takashi Yamamoto, Takahiro Yamashita, *Shunsuke Yaguchi (*責任著者、#equal contribution) 【掲載誌】 Nature Communications 【掲載日】 2025年11月19日 【DOI】 10.1038/s41467-025-65628-9   【プレスリリース】ウニ幼生に光で行動を調節する脳のような神経細胞群が存在することを発見.pdf(1.42 MB)掲載誌:Nature Communications 研究者ガイドブック(山本卓教授)   【問い合わせ先】 【研究に関すること】 谷口俊介(やぐちしゅんすけ) 筑波大学生命環境系/下田臨海実験センター准教授 TEL: 0558-22-1317 E-mail: yag@shimoda.tsukuba.ac.jp URL: https://sites.google.com/site/yaguchisea/home X@urchin_lab   【取材・報道に関すること】 筑波大学 広報室 TEL: 029-853-2040 E-mail: kohositu@un.tsukuba.ac.jp   千葉大学 広報室 TEL: 043-290-2018 E-mail: koho-press@chiba-u.jp   京都大学 広報室 国際広報班 TEL: 075-753-5729 E-mail: comms@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp   広島大学 広報室 TEL: 082-424-4518 E-mail: koho@office.hiroshima-u.ac.jp

    • 環境エネルギー
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    • 海洋
    2025.11.11
    • 環境エネルギー
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    • 海洋
    パンダ模様のヨコエビ、2種目を新たに発見!見た目はそっくりでも系統は別 ~日本沿岸の生物多様性理解に期待~

    本研究成果のポイント 和歌山県・大阪府沿岸の潮間帯から、パンダ模様の新種のヨコエビ「ヨリパンダメリタヨコエビ(学名:Melita pandina)」を発見。 同じくパンダ模様を持つすでに発見されているパンダメリタヨコエビとは系統的に近縁ではなく、模様の類似は「他人の空似」であることを確認。 日本沿岸の生物多様性の高さを示す成果であり、未調査地域の分類学的研究が新種発見や種の保全に向けた重要な基礎データになる可能性を示唆。   概要 和歌山県と大阪府の沿岸の潮間帯から新種のヨコエビ「ヨリパンダメリタヨコエビ(学名:Melita pandina)」が発見されました。本種は体長5~10 mmで、砂地の転がる石の下に生息しています。「ヨコエビ」という名前は、体の左右どちらかの面を下にして、横になって素早く移動する姿に由来します。 この種は以前よりその存在が知られていましたが、分類が難しく、種が明らかではありませんでした。今回、詳細な形態観察と遺伝子解析を行なった結果、メリタヨコエビ属の新種であることが明らかになりました。 ヨリパンダメリタヨコエビは白黒のパンダ模様という特徴的な色彩をもちますが、これは私たちが2024年に新種として公表したパンダメリタヨコエビによく似ています。これら2種がパンダ模様をもつ理由についてはよく分かっていませんが、捕食者から逃れるためのカモフラージュの役割を果たしていると考えられます。興味深いことに、遺伝子解析の結果、ヨリパンダメリタヨコエビとパンダメリタヨコエビは系統的に近縁ではないことが明らかになりました。このことは、両種にみられる特徴的なパンダ模様は、実は他人の空似であることを示します。 この新種の発見により、日本の沿岸域におけるメリタヨコエビ属の種多様性が、従来の研究で予想されていた以上に高いことが明らかになりました。 今後、ヨリパンダメリタヨコエビとパンダメリタヨコエビの生態や行動を詳しく調べることで、パンダ模様をもつ理由を明らかにできることが期待されます。 ヨリパンダメリタヨコエビ Melita pandina.内山りゅう氏撮影     背景 日本沿岸は、世界でもヨコエビ類の種多様性が高いことで知られています。 メリタヨコエビ属は世界で65種が知られる大きな分類群ですが、日本近海における分類学的研究は十分には行われていませんでした。     研究成果の内容 今回、和歌山県と大阪府の沿岸の潮間帯でフィールド調査を行ったところ、白黒のパンダ模様のメリタヨコエビ属の未記載種が見つかりました。 この特徴的な色彩は、私たちの研究グループが2024年に新種として公表した同属のパンダメリタヨコエビに次ぐ2種目です。 詳細な形態比較の結果、新種のヨコエビは白黒のカラーパターンや脚の形態などの特徴により、同属の全ての既知種と区別されることが分かりました。しかし、特徴的なパンダ柄が既知種のパンダメリタヨコエビと被るため、新種の命名は難航しました。そこで、パンダ好きとして知られる文筆家でラジオパーソナリティーの藤岡みなみさんに和名の命名を依頼。パンダメリタヨコエビよりも「もっと」パンダっぽい色彩をしていることから「ヨリパンダメリタヨコエビ(学名:Melita pandina)」と名付けていただきました。 ※和名:生物の日本語での名前学名:世界共通の生物の名前 興味深いことに、遺伝子解析の結果、ヨリパンダメリタヨコエビとパンダメリタヨコエビは系統的に近縁ではないことが明らかになりました。このことは、両種にみられる特徴的なパンダ模様は、実は他人の空似である可能性が高いことを示します。パンダ柄は、それぞれの種で独立に進化した「収れん進化」(系統的に離れた生物が、似た環境や生活様式に適応する中で、似た形質や機能を持つようになる進化)の結果だと考えられます。    今後の展開 ヨリパンダメリタヨコエビとパンダメリタヨコエビの生態や行動を詳しく調べることで、パンダ模様をもつ理由を明らかにできることが期待されます。 未調査地域におけるヨコエビ類の分類学的研究を進めることで、さらなる新種の発見が予想されます。このような分類学的研究を続けることで、日本列島の沿岸環境における生物多様性の解明が期待されるとともに、種の保全に向けた重要な基礎データとなることが期待されます。   新種の命名者、藤岡みなみさんのコメント 「すでにパンダのようなヨコエビがいるのに、もっとパンダらしい新種が見つかった」と伺って、とても驚きました。大変恐れ多いことながら、親しみを込めてちょっぴり韻を踏んだ名前を提案させていただきました。ヨリパンダメリタヨコエビ。ぜひ一度、声に出してみてください。   参考資料 本研究成果は、動物学に関する幅広い研究成果を掲載している国際学術雑誌Zoological Science(ズーロジカル サイエンス)に発表されます。 タイトル:Black-and-white disruptive coloration may be convergent: a new species of Melita (Amphipoda: Melitidae) from Japan 著者:Ko Tomikawa, Shigeyuki Yamato and Hiroyuki Ariyama 巻・ページ:42巻 DOI: https://doi.org/10.2108/zs250074   掲載雑誌:Zoological Science 研究者ガイドブック(富川 光 教授)   【お問い合わせ先】 大学院人間社会科学研究科教師教育デザイン学プログラム 富川光(とみかわこう)教授 Tel:082-424-7093 E-mail:tomikawa@hiroshima-u.ac.jp

    • 環境エネルギー
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    2025.11.26
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    御神木が語る大気汚染の移り変わり ~年輪のイオウが示す500年の環境変化の記憶~

    本研究成果のポイント イオウ酸化物の排出量は近年減少しているが、開国による日本の工業化(1850年)以前と比べて現代の大気がどの程度清浄化しているかは、未解明のまま残されていた。 本研究では、御神木の年輪に含まれるイオウ安定同位体比(δ34S)注1)を分析し、1500年代から現在にかけて500年にわたる大気中のイオウの起源の変化を探った。 年輪から計測されたイオウ同位体比は、工業化を境に大きく変化し、御神木は倒れる直前まで汚染された大気の値を記録していた。この結果は、現代の大気が工業化以前の清浄な水準にまだ戻っていないこと、あるいは土壌に蓄えられた過去の汚染イオウがいまも環境中に放出されていることを示している。   研究概要 名古屋大学大学院生命農学研究科の塩出 晏弓 博士後期課程学生、谷川 東子 准教授は、同大学院環境学研究科の中塚 武 教授、加藤 義和 研究員、平野 恭弘 教授、アジア大気汚染研究センターの佐瀨 裕之 部長、諸橋 将雪 主任研究員、広島大学の石田 卓也 准教授との共同研究により、中部日本の2本の御神木から500年分の年輪を読み解き、「産業革命前から開国を経て現代に至るまで」の大気汚染の移り変わりをたどりました。  化石燃料の消費に伴うイオウ酸化物の排出量は、2000年代以降、世界的に減少しています。しかし、現代の大気は、化石燃料の大量消費が始まる以前、すなわち産業革命前と比べ、どの程度まで清浄化しているのかは、これまで明らかにされていませんでした。  本研究では、自然災害で倒木した中部日本の2本の御神木を対象に、年輪に含まれるイオウ安定同位体比を分析し、各年代のイオウの起源(化石燃料か自然由来か)を推定しました。 イギリスの産業革命後であっても、日本の本格的な工業化以前までは、同位体比は高い値で安定していました。ところが、工業化の進行に伴って値はイオウ同位体比が低い石炭や石油の影響を受けて急激に低下し、その低い値は木が倒れる直前まで維持されていました。 御神木は、「イオウ排出量が減少した今もなお清浄な大気には戻っていない」、あるいは「かつて放出された化石燃料由来のイオウが土壌に蓄えられ、いまも環境中をめぐっている」ことを伝えています。  この成果は、今後の気候変動対策や大気保全の指標づくりに役立ちます。本研究成果は、2025年11月13日にSpringer Nature雑誌『Biogeochemistry』に掲載されました。     研究背景と内容 (1)研究の背景 化石燃料の消費などにより排出されるイオウ酸化物は、酸性雨の原因物質の一つとして知られ、生態系にさまざまな影響を及ぼしてきました。  近年、その排出量は世界的に減少傾向にありますが、一方で気候変動対策として、成層圏に硫酸エアロゾルを注入して地球を冷却させる「気候工学(ソーラー・ジオエンジニアリング)」の研究も進展しています。 こうした状況の中で、私たちがどのような大気の時代に生きているのかを知る手がかりとして、イオウ循環の長期的な歴史をさかのぼり、「産業革命以前の清浄な大気」と「今の大気」を比較することが重要だと考えました。  これまで南極やグリーンランドの氷床コアを用いた研究は、地球規模でのイオウ循環の長期変動を明らかにしてきました。氷床コアが遠い極地でしか得られないのに対し、樹木は私たちの身近に存在します。年輪は一年に一つずつ正確に刻まれるため、樹木の中にはその土地の空気や土の変化が細かく記録されています。 つまり樹木は、その生育地域におけるイオウ循環の移り変わりを細かく教えてくれる「自然の記録帳」ということができます。  今回、ペンやインクに相当するのは、イオウの安定同位体比(δ34S)です。イオウはその発生源によって、δ34S値が異なります。 たとえば、自然起源の海塩エアロゾルはおよそ +20.3‰、火山ガスは +5‰ と比較的高い値を示します。一方、日本で多く利用されてきた中東産の石油は −8~0‰ と非常に低い値を持っています。 このため、木の年輪に含まれるδ34S値を調べることで、その時代の大気中イオウの主な発生源を推定することができます。  ただし、土壌がイオウを捉える力が強い場合には、大気の状態と年輪に記録される値との間に時間的な「ずれ」が生じます。「ずれ」の存在は、過去にもたらされた汚染由来のイオウを、樹木が土壌から吸収しているということ、すなわち、過去に人間活動により大量放出されたイオウが今なお環境を循環していることを意味します。   (2)調査方法 本研究では大雨や台風によって倒木した2本の御神木—大湫神明神社(岐阜県瑞浪市)の樹齢約670年の大杉と伊勢神宮(三重県伊勢市)の樹齢500年の神宮杉を試料として用いました(図1)。 どちらも数百年にわたって地域の方々に大切に守り育てられてきた樹木です。これらの樹木の幹試料を5年ごとに分割し、イオウ同位体比を分析することで、樹木が長期的にどのように変動したかを明らかにしました。 図1. 2本の御神木の生育地   (3)研究成果 イオウ同位体比(δ34S)の長期的な変動は、図2の矢印で示した年に統計的に有意な転換点が認められました。本研究から見えてきたこと、そしてこれから明らかにしていくべき点を以下に整理しました。 図2. 樹木年輪のイオウ同位体比(δ34S)の経時変化   ① 日本の工業化前の樹木に含まれるイオウ同位体比は高い値で安定していた。化石燃料の大量消費が始まる前は、数百年にわたってδ34S値が安定していました(図2)。1760年のイギリス産業革命直後は、日本で大規模な火山噴火があったため値が動いていますが、その後再び1760年以前の値に戻り安定しました。  このため、日本においてはイギリスの産業革命による大気汚染の影響は限定的であったと考えられます。 大湫は伊勢よりも内陸に位置しており、高いδ34S値を持つ海塩の影響を受けにくいため、2地点の間には一貫して4.5‰程度の差異が見られました。  これまで樹木の年輪を用いたイオウ同位体比の研究では1830年が最も古い年代であり、大規模なイオウの排出が始まった1760年の産業革命前も含む年輪のイオウ同位体比を明らかにした初めての研究となりました。   ② 樹木年輪のイオウ同位体比が大きく変化するのは、日本国内で化石燃料が消費されるようになってから。 やがて日本でも工業化が進み、化石燃料の大量消費が始まると、年輪のδ34S値は急激に低下しました。 特に、蒸気船や鉄道のような近代的な運輸手段の整備が大きな影響を与えていると考えられます。   ③ 人為起源イオウの影響は、排出量減少後も年輪中に検出される。 1970年に大気汚染防止法が改正されると、脱硫装置の普及などによりイオウ排出量が減少し、人為起源イオウの寄与割合が低下しました。その結果、年輪のδ34S値は上昇傾向を示しました。  しかし、δ34S値は工業化前と比較するとはるかに低く、降水や工業化前の年輪から推定した人為起源のイオウの寄与率については1970年以降も高い水準にとどまっていることが示されました(図3)。   ④ 土壌がイオウを捉えることによる時間の「ずれ」はあったのか? 大気から降ってきたイオウや、植物が落葉などを通じて地表に戻したイオウは、いったん土の中に蓄えられます。大湫と伊勢の土壌は、イオウを強くつかまえるタイプではないと考えられますが、土壌が「時間のずれ」を生じさせて、昔の大気の情報をあとから木に伝えていたのかどうかは、まだはっきりしていません。  工業化前の年輪のδ34S値と現代の年輪のそれとの大きなギャップは、現代の大気は奇麗になってきたとはいえ、その清浄さは工業化以前の大気の状態にははるかに及ばないこと、あるいは、過去の大気汚染によって土壌に蓄えられたイオウが、時間をかけて再び樹木に取り込まれている可能性を示しています。 もし後者であれば、かつて降り注いだイオウは、今もなお森の中で静かに循環を続けているということになります。     成果の意義 本研究は、産業革命以前から現代にかけての、大気中イオウの歴史的な変化の軌跡を、2本の御神木の年輪に刻まれたイオウ安定同位体比(δ34S値)から読み解きました。 その結果、化石燃料の使用が本格化する以前の年輪には、清浄な大気を反映した高いδ34S値が記録されており、現在の年輪が示す非常に低い値は、今の大気はそのレベルまで回復していない、あるいは過去のイオウ大量放出の影響が環境には色濃く残っている状況が映し出されました。 これらの成果は、イオウ排出量が減少した現代においても、過去に排出されたイオウが大気や土壌に残り、その影響を正しく理解することの重要性を示しています。そして樹木は、大気汚染のような環境の変化を、500年もの歳月にわたって記録し続けてきた、長いページをもつ「自然の記録帳」であることが明らかになりました。     謝辞 御神木の学術利用を許可してくださいました大湫神明神社および伊勢神宮の関係者のみなさまに深く御礼申し上げます。  本研究は、科学研究費補助金研究・基盤研究(B)『森林生態系内に蓄積した大気汚染レガシーの極端気象による可動化(22H02401)』、日本技術振興機構『次世代研究者挑戦的研究プログラム(JPMJSP2125)』、文部科学省『女性研究者研究活動支援プログラム』の助成を受けて実施しました。     用語説明 注1)イオウ安定同位体比(δ34S): イオウ(S)には、質量の異なるいくつかの種類(同位体)があり、主に軽い³²Sと重い34Sが存在する。 イオウ安定同位体比(δ³⁴S)は、標準物質と比較して34Sと³²Sの比がどの程度異なるかを示す指標で、イオウの起源や循環の違いを読み解く手がかりとなる。   注2)混合モデル: 同じイオウでも、火山から放出されたもの、海から飛んできたもの、化石燃料の燃焼で発生したものでは、δ34S値が異なる。 それぞれの発生源がもつこの特徴的な値は、まるで“イオウの指紋”のようなものである。「混合モデル」とは、この同位体の“指紋”を手がかりに、複数の発生源がどの程度の割合で混ざっているかを推定する手法。 たとえば、年輪や土壌、水などの環境試料に含まれるイオウのδ34S値を測定し、海塩・火山・化石燃料などの典型的な値と比較することで、その試料中のイオウがどの発生源にどの程度の割合で由来するかを数値的に推定することができる。     論文情報 雑誌名:Biogeochemistry 論文タイトル:Air pollution recovery still falls short of pre-industrial conditions – Sulfur stable isotope analysis of tree rings from two giant trees 著者:Ayumi Shiode1, Takeshi Nakatsuka2, Yoshikazu Kato2, Hiroyuki Sase3, Masayuki Morohashi3, Takuya Ishida4, Yasuhiro Hirano2, Toko Tanikawa1 (塩出晏弓1, 中塚武2, 加藤義和2, 佐瀨裕之3, 諸橋将雪3, 石田卓也4, 平野恭弘2, 谷川東子1) 1, 名古屋大学大学院生命農学研究科; 2, 名古屋大学大学院環境学研究科; 3, アジア大気汚染研究センター; 4, 広島大学大学院先進理工系科学研究科 DOI: 10.1007/S10533-025-01277-W URL: https://link.springer.com/article/10.1007/s10533-025-01277-w     報道発表資料(788.13 KB) 掲載誌:Biogeochemistry 研究者ガイドブック(石田卓也准教授)   【問い合わせ先】 【研究者連絡先】 名古屋大学大学院生命農学研究科 准教授谷川東子(たにかわとうこ) TEL:052-789-4154 E-mail: toko105*agr.nagoya-u.ac.jp 広島大学大学院先進理工系科学研究科 准教授 石田 卓也(いしだたくや) TEL:082-424-6544 E-mail:tkishida*hiroshima-u.ac.jp アジア大気汚染研究センター生態影響研究部 部長佐瀨裕之(させひろゆき) TEL: 025-263-0560 E-mail:sase*acap.asia 【報道連絡先】 名古屋大学総務部広報課 TEL:052-558-9735 FAX:052-788-6272 E-mail:nu_research*t.mail.nagoya-u.ac.jp 広島大学広報室 TEL:082-424-3749 FAX:082-424-6040 E-mail:koho*office.hiroshima-u.ac.jp アジア大気汚染研究センター(代表) TEL:025-263-0550 FAX:025-263-0566 E-mail:eanet*acap.asia (*は半角@に置き換えてください)

    • 環境エネルギー
    • 食料/農林水産業
    • 自然共生/ネイチャーポジティブ
    2025.12.05
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    海藻の辛味成分がイネ栽培に被害をもたらす害虫を駆除!

    本研究成果のポイント イネ栽培に深刻な被害をもたらす害虫であるイネシンガレセンチュウ(*1)を駆除する物質を、褐藻の一種であるアミジグサ(*2)から特定しました。今後、環境にやさしい新たな農薬開発等へ繋がることが期待されます。   概要 広島大学大学院統合生命科学研究科の飯田愛実(博士課程後期)、太田伸二名誉教授、根平達夫准教授、大村尚准教授らの研究グループは、瀬戸内CN国際共同研究センターの加藤亜記准教授と共同で、海藻の一種「アミジグサ」が強い辛味を示すことを見出し、それらの化学構造を解明しました。さらに、広島県立総合技術研究所農業技術センターの星野滋博士の協力を得て、この辛味成分が、農業害虫である「イネシンガレセンチュウ」に対して殺線虫活性(線虫に対する殺虫効果)を示すことを明らかにしました。この研究成果は、国際学術雑誌「Phytochemistry」2026年2月号オンライン版に、2025年9月27日に先行掲載されました。また、広島大学から論文掲載料の助成を受けております。 論文情報 論文題目: Diterpenoids from the brown alga Dictyota dichotoma with nematicidal activity against the plant parasitic nematode Aphelenchoides besseyi 著者: 飯田愛実1、根平達夫1、加藤亜記2、星野滋3、大村尚1,*、太田伸二1,* 1. 広島大学大学院統合生命科学研究科 2. 瀬戸内CN国際共同研究センター 3. 広島県立総合技術研究所農業技術センター * 責任著者 掲載雑誌: Phytochemistry (Q1) DOI番号:https://doi.org/10.1016/j.phytochem.2025.114691 背景 イネシンガレセンチュウ(図1)は、イネ心枯線虫病(*3)を引き起こす農業害虫です。この線虫の感染はイネ種子の収量減少とコメの品質低下を引き起こします。近年、従来の化学合成農薬の使用が大幅に制限されていることから、それらと同等の効果を持つ環境に優しい農薬の研究開発に関心が高まっています。このような背景から、殺線虫剤の供給源として天然物に注目が集まっています。これまで、海藻が有している殺線虫効果に関してはほとんど知られていませんでした。そこで、食用にされていない海藻類の有効利用を目的にして研究を開始しました。 研究成果の内容 未利用海藻類の有効利用の可能性を探る過程で、海藻の一種であるアミジグサ(図2)を齧(かじ)ると強い辛味を感じることがわかりました。アミジグサを有機溶媒で抽出し、その化学成分を分析機器によって解析した結果、新規3種を含む11種の成分の化学構造を明らかにしました。それぞれの化学成分について、イネシンガレセンチュウに対する殺虫活性を評価したところ、分子内に「α,β-不飽和1,4-ジアルデヒド」と呼ばれる構造を持っていることから強い辛味を有する既知物質「4β-ヒドロキシディクチオジアールA」(図3)が、殺線虫効果を示すことが分かりました。 今後の展開 今後、殺線虫活性物質が有する化学構造のうち、どのような構成部位が活性に重要であるかなどのメカニズムを解明し、より有効性の高い物質を開発できれば、新しい農業害虫防除剤の開発につながるものと期待されます。 研究助成 本研究はダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ(特性対応型)の支援を受けたものです。また、本研究成果は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。 用語解説 (*1)イネシンガレセンチュウ: 学名Aphelenchoides besseyi アフェレンコイデス科の植物寄生性線虫。世界の水稲作地帯に広く発生し、イネの種子を介して伝播する。 (*2)アミジグサ: 学名Dictyota dichotoma アミジグサ科の小型褐藻で、世界各地の沿岸に生息している。その成分には、ウニなどの海洋植食動物に対する摂食阻害作用の他、抗菌・抗酸化などの薬理活性が既に報告されているが、産業利用は進んでいない。 (*3)イネ心枯線虫病: イネシンガレセンチュウが寄生しておこるイネの病害。感染したイネは、葉先が白く枯れた症状(俗称「ほたるいもち」)を示し、栄養不足に陥り、穂の小型化や籾粒数の減少がみられる。また、玄米の粒重が増加せず、屑米や黒点米が発生することがある。この病害は収量を10%~30%減少させることが報告されている。 参考資料 図1:イネシンガレセンチュウ (体長約0.7 mm) 図2:アミジグサ (高さ約10 cm) 図3:4β-ヒドロキシディクチオジアールA (赤丸枠部分は「α,β-不飽和1,4-ジアルデヒド構造」)     報道発表資料.pdf(253.99 KB) 掲載雑誌:Phytochemistry 研究者ガイドブック(大村 尚 准教授)   【お問い合わせ先】 広島大学大学院統合生命科学研究科准教授大村尚 Tel:082-424-6502 E-mail:homura@hiroshima-u.ac.jp

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    2025.12.12
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    ナウマンゾウの古代DNA解析に成功〜ユーラシア最古のパレオロクソドンの系統であることが判明〜

    概要 山梨大学総合分析実験センターの瀬川高弘講師、秋好歩美技能補佐員、広島大学大学院統合生命科学研究科の米澤隆弘教授、国立遺伝学研究所の森宙史准教授、国立科学博物館生命史研究部の甲能直樹部長らによる国際研究チームは、日本列島に生息していた絶滅ゾウ「ナウマンゾウ」(Palaeoloxodon naumanni)の化石から、世界で初めて古代DNA解析に成功しました。 ナウマンゾウは、約2万2千年前に絶滅したと考えられており、日本全国約300ヶ所から2千点を超える化石が発見されている、日本で最も豊富に見つかる絶滅大型哺乳類の一つです。ナウマンゾウが属するパレオロクソドン属(直牙象)は、更新世にユーラシア全域に広がった絶滅ゾウ類です。しかし、これまでアジアからの古代DNA解析は成功しておらず、ユーラシア全域でのパレオロクソドンゾウの進化史には大きな空白がありました。特にナウマンゾウはどのような系統に属するのか、全く分かっていませんでした。 本研究では、青森県で発見されたナウマンゾウの臼歯化石2点(約4万9千年前と約3万4千年前)からミトコンドリアゲノムの解析に成功しました。これは日本国内最古の化石標本からの古代DNA研究となります。 その結果、ナウマンゾウは約105万年前に分岐したユーラシアで最も古い直牙象の系統であり、原始的な「シュトゥットガルト型」の頭骨の特徴を保ったまま日本列島で長期間生き延びたことが明らかになりました。大陸では派生的な「ナマディクス型」の頭骨を持つゾウに置き換わりましたが、日本列島では地理的隔離により原始的な形態が保持され、日本列島がレフュジア(古い系統が生き残る特別な環境)として機能していたことが改めて実証されました。 図1:ナウマンゾウの生体復元図 今回の研究成果を踏まえて復元された最新のナウマンゾウの生体復元。頭部はオスの頭骨化石、体の骨格は複数個体の化石標本を参考に描かれている。背景には当時日本列島に共存していた巨大なシカ(ヤベオオツノジカ)も描かれている。(復元画制作: 府高航平氏) 研究の背景 パレオロクソドン(直牙象)とは パレオロクソドン属のゾウは、更新世のユーラシアで最も繁栄した大型植物食哺乳類の一つでした。アフリカで生まれた後、(遅くとも)約78万年前にユーラシアに進出し、ヨーロッパから東アジアまで広く分布しました。 近年の古代DNA研究により、パレオロクソドンは複雑な起源を持つことが明らかになってきました。遺伝情報の解析から、パレオロクソドンは主にアフリカゾウ属を祖先とし、そこにマルミミゾウやマンモスとの交雑(異なる種が交配すること)が加わって成立したことが示されています。また、母系で伝わるミトコンドリアDNAは完全にマルミミゾウ由来のものに置き換わっており、パレオロクソドンは、この中でNNグループ(ノイマルク・ノルト・グループ)とWEグループ(ワイマール・エーリングスドルフ・グループ)という2つの主要な母系系統が確認されています。しかし、これまでDNA情報が得られていたのはヨーロッパの標本が中心で、アジアからは中国河北省の(アジアゾウのものと思われていた)歯の化石から得られた配列のみでした。そのためアジアのパレオロクソドン、特に日本のナウマンゾウの進化系統上の位置づけは全く不明でした。   2つの頭骨形態:「シュトゥットガルト型」と「ナマディクス型」 形態学的な研究から、パレオロクソドンには原始的な「シュトゥットガルト型」(頭の骨の隆起が弱い)と、派生的な「ナマディクス型」(頭の骨の隆起が強い)という2つの頭骨形態があり、その関係について長年論争が続いていました(図2)。   「シュトゥットガルト型」(原始的): 頭の後ろの骨の隆起(頭頂後頭稜)の発達が弱く、頭骨が高い形。ナウマンゾウと中央アジアのP. turkmenicusがこのタイプ。   「ナマディクス型」(派生的): 頭頂後頭稜が強く発達し前方に張り出す形。ヨーロッパのP. antiquusとインドのP. namadicusがこのタイプ。 これらの形の違いが別の種を表すのか、成長段階や個体差なのかについては議論が続いていましたが、「シュトゥットガルト型」を示す標本からのDNA情報が全く得られていなかったため、遺伝学的な検証ができませんでした。ナウマンゾウは「シュトゥットガルト型」を示すアジアのパレオロクソドンでしたが、DNA情報がないため進化系統上の位置づけは不明でした。 図2:パレオロクソドンの2つの頭骨形態。右:原始的な「シュトゥットガルト型」(ナウマンゾウ)、左:派生的な「ナマディクス型」(ヨーロッパのP. antiquusに相当)。頭頂後頭稜の発達の違いが明瞭である。   研究の成果 (1)日本の厳しい環境下での古代DNA解析成功 本研究では、青森県立郷土館などが所蔵するナウマンゾウ化石4個体を対象に古代DNA抽出を試みました。日本は高温多湿でDNAの保存に極めて不利な環境であるため、技術的に非常に困難でしたが、そのうち特に保存の良かった2個体の臼歯の象牙質からミトコンドリアDNA配列を検出することに成功しました。解析に成功した2個体の年代は、約4万9千年前と約3万4千年前であり、日本国内最古の化石標本からの古代DNA研究となりました。特に約4万9千年前の標本からのDNA抽出は、日本の高温多湿という保存に極めて不利な環境を考えると、技術的に画期的な成果です。通常の方法だけでは十分な量のDNA情報が得られなかったため、特定のDNA領域を集中的に増やす「myBaitsキャプチャ法」という最新技術を使用しました。その結果、両個体のミトコンドリアゲノムのドラフト配列を再構築することに成功しました。 a   (2)ナウマンゾウは最も古い系統だった 2個体のナウマンゾウのミトコンドリアゲノムのドラフト配列を用いて、他のゾウ類との系統的な関係を解析しました。その結果、2個体のナウマンゾウは一つのまとまった系統を形成し、さらにドイツや中国のパレオロクソドンとともにユーラシア全域に広がるWEグループを形成することが示されました。しかしナウマンゾウのDNAは、非常に厳しい環境下で数万年間埋蔵されていたためDNAの損傷が激しく、このドラフト配列そのものから分岐年代を推定することは困難でした。そこで本研究では、まず2個体のナウマンゾウの共通祖先のDNA配列を再構築し、この共通祖先配列を用いて分岐年代推定を行うという新規の解析手法を提案しました。これにより、損傷の激しいDNA配列からも信頼性の高い分岐年代を推定できるようになりました。   重要な発見: ナウマンゾウはこのWEグループの中で最も早く分かれた系統であることが明らかになりました。詳細な年代推定から、ナウマンゾウ系統がWEグループの他の系統から分岐した時期は約105万年前と推定されました(図3)。この発見は、従来の理解を大きく覆すものです。これまでナウマンゾウは、パレオロクソドンの中で比較的新しい時期に分岐した系統であり、日本列島に隔離された後、島嶼化の影響で小型化したと考えられていました。しかし今回のDNA解析により、ナウマンゾウは実際には最初期に分岐した原始的な系統であり、約105万年前という非常に早い段階で既に東アジアの縁辺にまで到達していたことが判明したのです。 この分岐年代は、パレオロクソドンがアフリカからユーラシアに進出した最古の化石年代(約78万年前、イスラエルのゲシェル・ベノット・ヤアコブ遺跡)に非常に近い時期です。このことは、パレオロクソドンがアフリカからユーラシアに進出後すぐに東アジアを含む広い範囲に拡散したことを示しています。 図3:パレオロクソドンの系統樹と分岐年代。色は頭骨の形態を示す:赤=原始的なシュトゥットガルト型、青=ナマディクス型、黒=形態型不明。ナウマンゾウ(赤)はWEグループに属し、約105万年前に分岐した最古の系統である。   (3)「シュトゥットガルト型」を遺伝学的に初めて確認 本研究は、原始的な「シュトゥットガルト型」の頭骨を持つパレオロクソドンから、世界で初めて遺伝情報を得た研究となります。ナウマンゾウは大人のオスもメスも「シュトゥットガルト型」を示すことが知られており、今回の結果により、この原始的な形がWEグループに属することが遺伝学的に確認されました。 一方、これまでDNA情報が得られていた派生的な「ナマディクス型」の標本(シチリア島やドイツのもの)は、すべてNNグループに属していました。NNグループの共通祖先は約39万年前と推定されています。「ナマディクス型」の最古の確実な化石記録は、ギリシャから見つかった約48万〜42万年前のものです。これらの年代から、派生的な「ナマディクス型」は中期更新世(約77万〜13万年前)のヨーロッパで出現し、その後にアジアにも広がったことが分かります。   (4)時系列で見るナウマンゾウの進化 今回の研究結果から推定されるナウマンゾウの進化史は次のようになります: 約105万年前: パレオロクソドンがアフリカからユーラシアに進出後まもなく、東アジアを含む広い範囲に拡散しました。この初期の拡散集団から、日本列島に入った系統(ナウマンゾウの祖先)と、大陸に残った系統が分かれました。   約105万年前〜2万2千年前: 日本列島に入ったゾウは、島の環境で大陸から地理的に隔離され、独自の進化を遂げました。原始的な「シュトゥットガルト型」の頭骨を保ったまま、古い系統の生き残り(遺存固有種)として後期更新世まで生存しました。   約48万年前以降: ユーラシア大陸では、派生的な「ナマディクス型」がヨーロッパで出現し、その後東アジアにも広がりました。中国の後期更新世の地層から見つかった頭骨も「ナマディクス型」です。 約2万2千年前: ナウマンゾウが絶滅しました。地理的な隔離により、大陸の派生的な「ナマディクス型」集団による置き換えを免れ、絶滅するまで変わらず原始的な形を保ち続けていました。 このように、ナウマンゾウは東アジアへの原始的な「シュトゥットガルト型」の早期拡散を示す証拠であり、その後大陸では派生的な「ナマディクス型」集団に置き換わっていったと考えられます。   本研究の意義 (1)日本列島がレフュジア(古い系統が残る特別な環境)であったことを実証 日本列島は、基本的にユーラシア大陸から隔離された島弧でありながら、氷期の海水準低下期に断続的に陸続きになるという特殊な地理的環境です。この「半隔離状態」が、古い系統の保存や独自の進化を促進してきたことが、ナウマンゾウの例からも実証されました。ナウマンゾウは約105万年前以降に日本列島に到達した後、地理的隔離により大陸集団とは独立した進化を遂げ、大陸では失われた原始的な特徴を保ち続けた「生きた化石」だったのです。 こうした環境であったからこそ、今回の成果は大陸集団では検出できない時間軸を伴った生物地理学的な挙動まで解明できたと言えます。後期更新世まで(約1万2千年前以前)の日本列島には、更新世オオカミ、ヒグマ、バイソン、オオツノジカ、ヘラジカ、トラといった様々な大型哺乳類が生息していました。それらは大陸から断続的に渡来した結果、「重層的」に集団の置き換わりが起こった歴史を持つ可能性があり、今後の古代DNA研究の最も重要なテーマの一つになると考えられます。   (2)ユーラシア全域のゾウ進化史の空白を埋めた これまでアジアのパレオロクソドンのDNA情報はほとんどありませんでした。今回のナウマンゾウのDNA解析により、ユーラシア全域でのゾウの進化の流れが初めて明らかになりました。   (3)形態の違いの意味を遺伝学的に解明 長年議論されてきた「シュトゥットガルト型」と「ナマディクス型」の関係について、遺伝学的な証拠を初めて提供しました。これらは単なる成長段階の違いではなく、進化の異なる段階を表していることが示されました。今回のDNA解析により、ナウマンゾウがWEグループの最古の系統であることが判明したことで、近縁種との比較から最新の生体復元が可能になりました。DNA情報から推定される系統関係に基づき、牙の形状、背中の輪郭といった従来の化石証拠だけではなく、これまで不確実だった耳の大きさや形状についても、より科学的根拠のある復元が実現しました。これにより、ナウマンゾウの生きていた姿をより正確に再現できるようになりました。   研究の展開 本研究により、ナウマンゾウがユーラシアのパレオロクソドン進化史における重要な位置を占めることが明らかになりました。しかし、今回解析したのは母親から受け継がれるミトコンドリアDNAのみです。今後、核ゲノムDNA(両親から受け継がれる全ての遺伝情報)の解析が実現すれば、以下の重要な疑問に答えることができると期待されます:   • ユーラシアのパレオロクソドンは一度の交雑で成立したのか、それとも複数回の独立した交雑があったのか • NNグループとWEグループは核ゲノムレベルでどのような関係にあるのか • ナウマンゾウはなぜ絶滅したのか、その遺伝学的な要因は何か   今後、DNA抽出技術の向上や堆積物に含まれるDNAを分析する新技術の発展により、より多くのナウマンゾウ標本や他の日本の更新世哺乳類からの古代DNA解析が進むことが期待されます。これにより、日本列島における哺乳類相の成立史がさらに詳しく解明されるでしょう。   用語解説 (1)パレオロクソドン(Palaeoloxodon):更新世にアフリカとユーラシアに広く分布した絶滅ゾウ類の仲間。直牙象(ちょくがぞう)とも呼ばれます。まっすぐな牙を持つことが特徴です。ヨーロッパのP. antiquus、インドのP. namadicus、日本のP. naumanni(ナウマンゾウ)などが含まれます。   (2)更新世:地質時代の区分の一つで、約258万年前〜約1万2千年前までの期間。氷期(氷河期)と間氷期(温暖期)が繰り返された時代です。マンモスやナウマンゾウなどの大型哺乳類が栄えました。   (3)古代DNA解析:化石など古い時代の生物に残された微量のDNA配列を解析する手法。近年の技術発展により、様々な絶滅生物の進化を明らかにできるようになりました。   (4)ミトコンドリアDNA:細胞の中のエネルギーを作る小器官(ミトコンドリア)に含まれるDNA。母親からのみ受け継がれ、核DNAより多くのコピーが存在するため、古代DNA研究に適しています。母系の進化の歴史を知ることができます。   (5)WEグループ(WEクレード):ドイツのワイマール・エーリングスドルフで見つかった標本を基準に定義されたパレオロクソドンのミトコンドリアDNA系統群。ヨーロッパから中国、日本まで広く分布します。   (6)NNグループ(NNクレード):ドイツのノイマルク・ノルトで見つかった標本を基準に定義されたパレオロクソドンのもう一つのミトコンドリアDNA系統群。主にヨーロッパで見つかっています。   (7)頭頂後頭稜(とうちょうこうとうりょう、POC):頭骨の後ろの部分にある骨の隆起。パレオロクソドンでは「シュトゥットガルト型」で弱く、「ナマディクス型」で強く発達します。この違いが頭骨の形の大きな特徴となっています。   (8)myBaitsキャプチャ法:目的とするDNA領域だけを選択的に集める技術。保存状態の悪い試料から効率的にDNA配列を回収できます。釣り針(bait)で目的の魚を釣るイメージです。   (9)系統樹解析:DNA配列などの情報から生物の間の系統的な関係(どの生物とどの生物が近い親戚か)を推定し、その進化史を樹形図で表す解析方法。   (10)遺存種(レリック):過去に広く分布していた生物の生き残りで、限られた地域にのみ生存している種。「生きた化石」とも呼ばれます。ナウマンゾウは、大陸では失われた原始的な特徴を保った遺存種でした。   論文情報 雑誌名:iScience 論文名:Ancient DNA from Palaeoloxodon naumanni in Japan reveals early evolution of Eurasian Palaeoloxodon 論文名(日本語):日本のナウマンゾウの古代DNAがユーラシアのパレオロクソドンの初期進化を明らかにする 著者:Takahiro Segawa, Takahiro Yonezawa, Hiroshi Mori, Ayumi Akiyoshi, Asier Larramendi, Naoki Kohno 著者(日本語):瀬川高弘、米澤隆弘、森宙史、秋好歩美、アシエル・ララメンディ、甲能直樹 DOI:10.1016/j.isci.2025.114156 URL:https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2589004225024174 オンライン公開日: 2025年12月8日   研究サポート 本研究は、日本学術振興会科研費(課題番号: 20K20942, 23KK0062, 25K01110 and JP221S0002)の支援を受けました。   報道発表資料.pdf(1.64 MB) 掲載雑誌:iScience 研究者ガイドブック(米澤 隆弘 教授)   【お問い合わせ先】 山梨大学総合分析実験センター瀬川 高弘 E-mail: tsegawa@yamanashi.ac.jp TEL: 055-273-9439   広島大学大学院統合生命科学研究科米澤 隆弘 E-mail: tyonezaw@hiroshima-u.ac.jp TEL: 082-424-7950   国立科学博物館生命史研究部甲能 直樹 TEL: 029-853-8984   山梨大学 総務企画部総務課広報・渉外室 E-mail: koho@yamanashi.ac.jp TEL: 055-220-8005,8006   広島大学 広報室 E-mail: koho@office.hiroshima-u.ac.jp TEL: 082-424-6762   情報・システム研究機構国立遺伝学研究所 広報室 E-mail: prkoho@nig.ac.jp TEL: 055-981-5873   国立科学博物館 経営管理部 研究推進・管理課 研究活動広報担当 E-mail: t-shuzai @kahaku.go.jp TEL: 029-853-8984

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    2025.12.22
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    寒さに耐える冬眠動物の筋幹細胞 ~再生能力を意図的に抑える「省エネ戦略」~

    本研究成果のポイント 冬眠動物は、極端な体温低下と長期間の不活動を経験するにもかかわらず、筋肉の衰えを驚くほど防いでいます。本研究では、冬眠動物の“筋肉が衰えない仕組み”の一端が、「組織幹細胞を生かしたまま、再生を抑える」というエネルギー節約戦略にある可能性を示しました。   概要 ハムスターやクマなどの冬眠動物では、骨格筋の幹細胞(サテライト細胞)が極端な低温下でも死なずに生存できることを発見 その低温耐性機構は、フェロトーシス(鉄依存性細胞死)を抑える細胞内の抗酸化システムにより成立 しかし生存した細胞は、筋形成に必要な「活性化・分化」プログラムを意図的に抑制しており、増殖能力が低温下では大きく低下 実際にハムスターでの筋損傷モデルでも、冬眠中は筋再生が著しく遅延 冬眠動物は「細胞死は防ぐが、エネルギー消費の大きい炎症・再生反応は抑える」という、エネルギー節約型の“冬眠モード”を幹細胞レベルで備えていることが明らかに   広島大学大学院 医系科学研究科 生理機能情報科学の宮﨑充功准教授らの研究グループは、福山大学薬学部・渡邊准教授、北海道大学大学院獣医学研究院・下鶴准教授、北里大学理学部・塚本助教、北海道大学低温科学研究所・山口教授らとの共同研究により、冬眠する哺乳類が、極端な低温環境でも筋肉の幹細胞(サテライト細胞)を死なせず保持する一方、筋形成に関わる遺伝子群の働きを大幅に抑制し、あえて再生を遅らせる仕組みを解明しました。 本研究成果は、米国実験生物学会連合の学術誌The FASEB Journal に掲載されました。 また、本研究成果は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。   掲載雑誌: The FASEB Journal, 2025; 39:e71297 URL: https://doi.org/10.1096/fj.202502651R 題目: Cold-induced suppression of myogenesis in skeletal muscle stem cells contributes to delayed muscle regeneration during hibernation 著者: Tatsuya Miyaji, Ryuichi Kasuya, Mayuko Monden, Yutaka Tamura, Michito Shimozuru, Toshio Tsubota, Daisuke Tsukamoto, Guangyuan Li, Shota Kawano, Yuri Watanabe, Yoshifumi Yamaguchi, Masatomo Watanabe, and Mitsunori Miyazaki* *Corresponding author (責任著者) doi: 10.1096/fj.202502651R   背景 一般に、骨格筋は長期間使われないと萎縮し、筋肉を形成するための幹細胞の働きも弱まるため、冬眠によりほとんど動かない期間が続くと、通常なら筋肉が衰えると考えられます。しかし冬眠動物では、数か月におよぶ極度の不活動と低体温にもかかわらず、筋肉量がほとんど失われません。この理由はこれまでも研究されてきましたが、明確な答えは出ていませんでした。 本研究は、冬眠動物の筋肉が衰えない背景に「細胞死を防ぎながら再生は抑制する」という、冬眠期特有のエネルギー節約戦略が存在することを、世界で初めて幹細胞レベルで示しました。   研究内容と成果 1. 冬眠動物の筋幹細胞は、極端な低温ストレス下でも死なない 研究チームはまず、冬眠動物のサテライト細胞※1が低温ストレスに対して著しい抵抗性を示すことを発見しました。冬眠する動物(シリアンハムスター、シマリス、ツキノワグマ等)と冬眠しない動物(マウス、ラット等)の細胞をそれぞれ4℃の低温に24~48時間さらしたところ、冬眠しない動物の細胞は大半が死滅するのに対し、冬眠する哺乳類の筋肉から得た細胞はほぼ死なずに生存しました。解析の結果、冬眠動物の細胞では、鉄依存性細胞死(フェロトーシス)※2を抑える抗酸化システムが成立しており、これが極端な低温下でも細胞死を防ぐ鍵であることが分かりました。 図1|冬眠動物の筋幹細胞は極端な低温下でも死なずに生き残る マウスやラットなど冬眠しない動物では、4℃の低温にさらすと筋幹細胞の多くが死んでしまいます(赤色:死んだ細胞)。一方、シリアンハムスター、シマリス、ツキノワグマといった冬眠動物では、同じ低温条件でも細胞がほとんど死なずに生き残ります。右下のグラフは、低温条件下における48時間後の細胞死の割合を示しており、冬眠動物の細胞が「細胞レベルで寒さに強い」ことが分かります。   2. 低温下で生存した筋幹細胞は「活性化できない = 筋再生スイッチが切られる」 さらに、低温環境を生き延びた細胞のふるまいを詳しく調べたところ、筋肉の形成に必要な MyoD※3 や Myogenin※4 などの遺伝子群が大きく抑制されており、筋肉の組織幹細胞が“生存するが再生は遅らせる”という特殊な待機状態にあることが明らかになりました。これは、冬眠動物のサテライト細胞が、低温ストレス下では再生スイッチを積極的にオフにすることで、状態を維持していることを示しています。 図2|低温にさらされたハムスター筋幹細胞では、筋形成に関わる遺伝子だけがまとまって弱まる   左図は、ハムスターの筋幹細胞を4℃に冷却した際の遺伝子発現を網羅的に解析した結果です。緑色の点は、発現量が統計学的に有意に“減少した”遺伝子を示し、逆に“増加した”遺伝子は1つも見られませんでした。右図は、それら発現が減少した遺伝子の特徴を調べたGene Ontology※5解析の結果で、筋肉の形成や構造維持に関わる遺伝子群が特に大きく抑制されていることが分かります。これらの結果は、低温下で生存した細胞が、筋形成・再生を開始するための遺伝子プログラムを意図的に落としていることを示しています。   3. 冬眠期のハムスターでは、実際に筋再生が遅延 冬眠期間のハムスターは、体温を周期的に大きく下げる「深冬眠」※6と体温が常温に戻る「中途覚醒」※7を繰り返します。この状態で筋肉が傷つくと、通常であれば見られるはずの再生マーカー eMyHC※8 の発現がほとんど確認されず(下図右下)、再生途中の小さな筋線維も形成されません(右上)。さらに、再生の初期に重要なサテライト細胞の活性化や免疫細胞(マクロファージ※9)の浸潤も大幅に抑えられていました。これらの結果は、冬眠中の生体がエネルギーを節約するため、炎症反応や再生反応といった代謝負荷の高いプロセスを意図的に遅らせている、つまり、省エネモードに入っていることを示しています。 図3|冬眠中のハムスターでは筋再生がほとんど進まない   冬眠期のハムスターは体温低下(深冬眠)と復温(中途覚醒)を繰り返します。この状態で筋損傷を起こすと、再生マーカー eMyHC の発現がほとんど見られず、サテライト細胞の活性化や免疫細胞の浸潤も弱く、筋再生が大きく遅れることが分かります。   本研究の意義と今後の展開 本研究は、冬眠動物が「筋肉の幹細胞を死なせずに保持しつつ、再生は適温に戻るまで待機させる」という高度な省エネ戦略を備えていることを明らかにした点で重要です。これらの知見は将来的に、臓器や細胞の低温保存技術の高度化、長期不活動に伴う筋萎縮予防、さらには人工的な冬眠・低代謝医療の開発など、ヒト医療への応用可能性を広げるものと期待されます。   現在、冬眠中に生じる筋再生抑制がどのような分子機構で制御されているのか、特にエピジェネティクスや神経—筋連関などの側面はいまだ明らかになっていません。研究チームは今後、これらの分子機構の解明を進め、冬眠状態を人工的に誘導・制御しうる基盤的知見の確立を目指しています。   用語解説 ※1 サテライト細胞(筋幹細胞) 骨格筋に存在する「筋肉の幹細胞」。普段は休んでいるが、運動やけがが起こると活性化し、筋肉を修復・再生する役割を持つ。   ※2 フェロトーシス(鉄依存性細胞死) 細胞内の鉄が引き起こす「脂質の酸化」により生じる特殊な細胞死の一種。低温ストレスによる細胞死はフェロトーシスを介して起こる。   ※3 MyoD(マイオディー) 筋幹細胞が「筋形成・筋再生を始める」ときにスイッチとなる転写因子。活性化すると筋肉に分化する方向へ進む。低温では発現が抑えられる。   ※4 Myogenin(マイオジェニン) 筋幹細胞が筋細胞として成熟していく過程で重要となる転写因子。筋再生の“後半”を進める役割がある。   ※5 Gene Ontology(遺伝子オントロジー解析) 膨大な遺伝子の機能を「どんな役割をしているか」で分類し、特定の条件下でどの機能の遺伝子が変化したかを調べる手法。   ※6 深冬眠(Deep Torpor) 小型の冬眠動物が体温を大きく下げ、代謝を極端に落とした状態。体温が数℃まで下がることもある。クマなど大型の冬眠動物の場合、代謝低下は認められるものの、小型動物ほどの極端な体温低下は起こらない。   ※7 中途覚醒(Interbout Arousal) 冬眠中に体温が一時的に正常レベルまで戻る短い覚醒期。小型の冬眠動物はこの「深冬眠」と「中途覚醒」を繰り返す。   ※8 eMyHC(embryonic Myosin Heavy Chain) 再生途中の新しい筋線維に発現する「再生マーカー」。筋損傷後に通常であれば増えるが、冬眠期はほぼ発現しない。   ※9 マクロファージ 筋損傷の修復に重要な免疫細胞。壊れた筋細胞を処理し、筋幹細胞の活性化をサポートする。冬眠期は浸潤が強く抑制される。   報道発表資料(636.78 KB) 掲載雑誌:The FASEB Journal 研究者ガイドブック(宮崎 充功准教授) 【お問い合わせ先】 (研究に関すること) 広島大学大学院医系科学研究科生理機能情報科学 准教授宮﨑充功 Tel:082-257-5435 E-mail:mmiya4@hiroshima-u.ac.jp   (報道に関すること) 広島大学広報室 Tel:082-424-4383 E-mail:koho@office.hiroshima-u.ac.jp

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    2025.12.23
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    ビタミン「ビオチン」を細胞へ迅速・効率的に届ける新手法を開発 ~バイオテクノロジー技術の改良や遺伝性代謝異常症治療への応用に期待~

    本研究成果のポイント 皮膚や髪の健康を保ち、体のエネルギーづくりにも関わるビタミンの一種「ビオチン(※1)」を、細胞の中により速く、効率的に届ける方法を開発しました。 細胞膜を素早く通過できる新しいビオチン誘導体を用いることで、細胞内のビオチン量を短時間で増やし、ビオチンを用いるさまざまなバイオテクノロジー技術を改良できることが分かりました。 ビオチンを利用するバイオ技術の改良や、マルチビタミン反応性遺伝性代謝異常症(※2)の新しい治療法につながる可能性があります。   概要 広島大学大学院統合生命科学研究科の佐藤明子 教授、理化学研究所光量子工学研究センターの中野明彦 客員主管研究員、戸島拓郎 上級研究員らは、ビオチンを細胞に入りやすい形に改良したビオチン誘導体 (ビオチンメチルエステル: BME)(※5)を用いることで細胞内への迅速なビオチンの誘導に成功しました。 私達が生きるために必須なビタミンの一種である「ビオチン」は、卵白に含まれる「アビジン(※3)」と呼ばれるタンパク質と強く結合する性質を持つため、現在、さまざまなバイオテクノロジー技術に用いられています。ビオチンはナトリウム依存性マルチビタミントランスポーター (SMVT)(※4) と呼ばれるタンパク質の働きで細胞内に取り込まれます。しかし、私達は多くの細胞でSMVTによるビオチン取り込みに時間がかるため、生細胞内へのビオチン投与を必要とするバイオテクノロジー技術が迅速に機能しないことを発見しました。 さらに、BMEは細胞内でビオチンへと急速に加水分解(化学反応によって物質が水の働きで分解され、元の成分に戻る反応)され、細胞内のビオチン濃度を迅速に上昇させることで、バイオテクノロジー技術を改良できることを発見しました。また、最近の研究から、SMVTの欠損が、マルチビタミン反応性遺伝性代謝異常症(multivitamin-responsive inherited metabolic disorder)を引き起こすことが分かってきました。私達の研究成果は、BMEがビオチンのプロドラッグ(※6)として機能することを示しており、マルチビタミン反応性遺伝性代謝異常症の患者さんへのビオチン供給を促進する可能性があり、治療への応用が考えられます。   論文情報 掲載雑誌名: Communications Biology 論文名: Biotin methyl ester enhances cargo release in RUSH system and enables rapid biotinylation with TurboID 著者名: Uehara T1#, Takiguchi A1#, Tojima T2, Nakano A2, 3, Kagawa S1, Nehira T1, Satoh T1, Satoh AK1,*. 所属:1)広島大学大学院 統合生命科学研究科 2)理化学研究所 光量子工学研究センター 生細胞超解像イメージング研究チーム(研究当時、現画像情報処理研究チームの所属) 3)東京科学大学 総合研究院高等研究府 # 共筆頭著者:上原 大政・瀧口 新 * 責任著者:佐藤 明子   DOI: 10.1038/s42003-025-09176-4. 掲載日時: 2025年12月16日   背景 ビオチンは私達が生きるために必須なビタミンの一種です。私達は自身でビオチンを合成することはできないため、ビオチンを食事により取り入れる必要があります。ビオチンの細胞内への取り込みは、細胞膜に存在するナトリウム依存性マルチビタミントランスポーター (SMVT) が行っています。 ビオチンはアビジンと強い結合を示すことから、ビオチン・アビジン結合性を利用したさまざまなバイオテクノロジー技術が発達しています。さらに、近年、近位依存性ビオチン化酵素(※7)を用いたタンパク質相互作用の網羅的解析(近位依存性ビオチン標識法(※8))が活発に進められています。生きた細胞でこれらの技術を用いる場合には、細胞培養液へのビオチン投与で十分であると考えられてきました。 細胞内における物質輸送(膜交通)の研究分野では、ビオチン投与によりタンパク質輸送を開始できる同調的輸送開始実験法 (Retention Using Selective Hook 法: RUSH) 法(※9)が汎用されています。しかし、私達は、RUSH法において、ビオチン投与後すぐには輸送開始しない細胞が多いことを報告していました (Tago et al., EMBO repo, 2025)( https://www.hiroshima-u.ac.jp/news/87904)。今回、私達は、この理由がビオチンの細胞内取り込みが迅速ではないからではないかと考え、実験を行いました。   研究成果の内容 本研究では、ビオチンの膜透過性を向上させる目的で、ビオチンのカルボキシ基を保護したビオチン誘導体 (ビオチンメチルエステル: BME) を用いてRUSH法においてタンパク質輸送が迅速に開始するかを評価しました。その結果、RUSH法において推奨されている40μMにおいてビオチンが十分な輸送開始を引き起こせないのに対して、BMEでは、その20分の1の濃度である2μMの投与でもタンパク質輸送が迅速に開始することを示しました。また、BMEの細胞内への取り込みはSMVTの阻害剤では阻害されず、BMEが直接細胞膜を透過することが強く示唆されました。 さらに、BMEが近位依存性ビオチン化酵素によるビオチン化の速度も上昇させることを発見しました。ビオチン化酵素はBMEを直接基質として利用できないことから、この結果はBMEが細胞内で急速に加水分解されることを強く示唆しています。また、細胞内の核・細胞質ゾル・小胞体内腔のいずれの領域においても、BME投与が近位依存性ビオチン化酵素によるビオチン化を活性化することを示しました。これらの結果から、BMEがビオチンを用いるバイオテクノロジー技術を大きく改良できると結論しました。 今後の展開 本研究が示した「BMEによる細胞内への迅速なビオチン供給」は、ビオチンを利用するさまざまなバイオテクノロジー技術全般に普及するものと考えられます。 また、ビオチンは私達が生きるために必須なビタミンの一種です。私達は自身でビオチンを合成することができないため、ビオチンを食事により摂取し、細胞内に取り込んでいます。最近の研究から、ビオチンの細胞内への取り込みに必要なSMVTの欠損が、マルチビタミン反応性遺伝性代謝異常症(multivitamin-responsive inherited metabolic disorder)を引き起こすことが分かってきました。BMEはビオチンのプロドラッグ(体内で活性成分に変化して働く薬)として機能することから、代謝マルチビタミン反応性遺伝性代謝異常症を含むビオチン代謝異常症の患者へビオチン供給を簡単に行うことができる可能性があり、治療への応用が考えられます。 参考資料 図ビオチンメチルエステル (BME)による細胞内への迅速なビオチン供給と応用 BMEはビオチンのカルボキシル基がメチル化された、電荷を持たない小分子であり、容易に細胞膜を通過する。小胞体内腔において、カルボキシルエステラーゼの働きで加水分解されてビオチンとなる。小胞体膜は電荷を持った小分子も容易に通すため、BME投与により細胞質ゾル・核・小胞体のいずれの領域にもビオチンを迅速に供給でき、バイオテクノロジー技術を改良できる。さらにビオチン代謝異常症の治療に役立つ可能性がある。   用語解説 (※1)ビオチン ビタミンB群の一種であり、エネルギー代謝や皮膚・粘膜・髪・爪の健康維持に重要な役割を果たす水溶性ビタミン。体内で糖質、アミノ酸、脂質の代謝を助ける補酵素として働く。   (※2) マルチビタミン反応性遺伝性代謝異常症 SMVTの欠損によって引き起こされる先天性代謝異常症の1つであり、最近同定された疾患。ビオチンがカルボキシラーゼの補酵素であるため、患者はマルチプルカルボキシラーゼ欠損症と呼ばれる病態を含む多様な症状を示す。 (※3)アビジン 卵白に存在する糖タンパク質で、ビタミンであるビオチンと非常に強く結合する性質を持ちます。この強力な結合を利用して、生命科学分野では、様々なバイオテクノロジー技術に利用されています。   (※4) ナトリウム依存性マルチビタミントランスポーター (SMVT) ビオチン・パントテン酸・リボ酸塩の細胞内への取り込みに機能する細胞膜タンパク質。濃度勾配に従ってナトリウムを細胞内に取り込むときにこれらのビタミンを同時に輸送するシンポーター。   (※5) ビオチンメチルエステル (BME) ビオチンのカルボキシル基がメチル基とエステル結合したビオチン誘導体。電荷を持たない小分子であり、カルボキシルエステラーゼにより分解される。   (※6) プロドラッグ 機能分子(ドラッグ)のカルボキシ基がエステル化された分子。電荷を持たないため迅速に細胞膜を透過する。細胞内に入るとカルボキシルエステラーゼにより加水分解され、活性を持つドラッグとして機能する。   (※7) 近位依存性ビオチン化酵素 大腸菌ビオチンリガーゼ酵素BirA に変異を導入し、中間体のbiotinyl-5’-AMP が酵素から遊離し,近傍のタンパク質のリジン残基にビオチンを付加するように改変した酵素BirA* (BioID) やそれを改良したもの等。活性を高めたTurboID, AirID などがよく利用される。   (※8) 近位依存性ビオチン標識法 以下の一連の操作により、相互作用ネットワークを解析する手法。相互作用ネットワークを知りたいタンパク質に、近位依存性ビオチン化酵素を融合して発現させる。細胞にビオチンを投与することで、興味あるタンパク質近傍に存在するタンパク質を網羅的にビオチン化する。ビオチン化タンパク質をアビジンカラムで精製し質量分析機で解析することで相互作用ネットワークを明らかにできる。   (※9) 同調的輸送開始実験法 (Retention Using Selective Hook法: RUSH法) 膜交通分野で汎用されるタンパク質輸送を同調的に開始させる手法。ビオチン投与によりタンパク質がアビジンから遊離して輸送を開始する。     報道発表資料.pdf(335.32 KB) 掲載雑誌:Communications Biology 研究者ガイドブック(佐藤 明子 教授)   【お問い合わせ先】 〈研究に関すること〉 広島大学大学院統合生命科学研究科佐藤明子教授 TEL:082-424-6507FAX:082-424-0759 E-mail:aksatoh@hiroshima-u.ac.jp   〈広報・報道に関すること〉 広島大学 広報室 TEL:082-424-6762 E-mail:koho@office.hiroshima-u.ac.jp   理化学研究所広報部報道担当 TEL:050-3495-0247 Email: ex-press@ml.riken.jp

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    2026.01.27
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    朝に光をあびて夜に産卵するクラゲの発見 ─Clytia sp. IZ-Dがもつ新たな生物時計のしくみ─

    本研究成果のポイント 多くのクラゲは、「暗→明」の光変化(明刺激)から数時間以内に産卵する。一方、宮城県の海で新たに採集されたClytia sp. IZ-Dは、明刺激から14時間たった後にようやく産卵するという珍しい性質をもっていた。 卵の成長過程や卵成熟誘起ホルモンの種類は近縁種間で共通していたが、Clytia sp. IZ-Dは一定の周期で自動的にホルモンの分泌や受容をするように変化していた。すなわち、ホルモンの分泌・受容の制御に基づいた、新たな『生物時計』のしくみを獲得したと考えられる。 このしくみの獲得によって、Clytia sp. IZ-Dは日照に左右されにくい産卵方法を手に入れるとともに、近縁種からの種分化を果たしたと推測される。   概要 ヒドロ虫綱のClytia hemisphaericaをはじめとした多くのクラゲは、暗から明への移行(明刺激)直後の卵成熟誘起ホルモンの分泌、その受容による卵成熟を経て、1〜2時間後に産卵します。今回、宮城教育大学大学院教育学研究科の橘井瑠伽大学院生・出口竜作博士、広島大学大学院統合生命科学研究科の竹田典代博士、ソルボンヌ大学・国立科学研究センター(フランス)のEvelyn Houliston博士・百瀬剛博士の研究グループは、宮城県の海で新たに採集されたClytia sp. IZ-Dが明刺激を受けてもすぐには産卵せず、14時間もたってから同調して産卵するという珍しい性質をもつことを発見しました。卵の成長過程や卵成熟誘起ホルモンの種類などは近縁種間で共通していましたが、Clytia sp. IZ-Dは明刺激がなくても約20時間周期で自動的にホルモンを分泌・受容し、産卵に至ることがわかりました。また、明刺激があると、産卵は24時間周期に調整されました。すなわち、Clytia sp. IZ-Dは卵成熟誘起ホルモンの分泌・受容に立脚した新たな『生物時計』のしくみを獲得し、朝の光を利用して夜に産卵するように「進化」したと推測されます。このしくみの獲得によって、悪天候にも左右されにくい産卵方法を手に入れるとともに、近縁種からの種分化を果たしたのかもしれません。クラゲの生殖戦略や種分化、新たな生物時計のしくみの解明につながる、重要な発見です。 本研究成果は、2026年1月6日に科学誌PLOS Biology速報版に掲載されました。   背景 多くのクラゲは、光変化を利用して卵や精子の放出を同調させ、受精を成功させています。例えば、Clytia hemisphaerica(注1)は、明け方の明刺激(暗→明)から2時間後に産卵します(図1)。これは、明刺激によって生殖巣から分泌された卵成熟誘起ホルモン(注2)を受容した卵母細胞(注3)が2時間かけて卵成熟(注4)を進行させ、受精可能になってから放出されるからです。明刺激の逆の、夕刻の暗刺激(明→暗)に反応して産卵に至るエダアシクラゲのような種もいます。明刺激や暗刺激は1日1回ずつ起こることから、クラゲの産卵は24時間周期でくりかえされます。しかし、C. hemisphaericaや同じヒドロ虫綱のヒドラはいくつかの重要な時計遺伝子を失っていることもあり、クラゲの産卵に生物時計(注5)や概日リズム(注6)といったしくみはこれまで想定されていませんでした。   研究成果の内容 宮城県の海岸で新たに採集されたウミコップ属のクラゲ、Clytia sp. IZ-D(注7)を12時間明-12時間暗の明暗周期で飼育すると、暗への移行から2時間後の産卵を毎日くりかえしました(図1)。最初は、暗刺激(明→暗)への反応と思われていたのですが、明暗時間の長さなどを変えた実験により、実は明刺激に反応しており、それから14時間もたってから産卵していることがわかりました。また、光をあて続けた条件(恒明条件)では、20時間周期で産卵をくりかえすこともわかりました(図2)。すなわち、Clytia sp. IZ-Dは20時間周期で自動的に産卵する性質を備えているものの、明刺激がそれを24時間周期に調整している(図2)ことになります。   Clytia sp. IZ-Dの体内での卵母細胞の成長過程は、C. hemisphaericaと基本的に同じでした。また、卵成熟誘起ホルモンの有効濃度やホルモン投与後の減数分裂過程も両者で共通していました。一方で、Clytia sp. IZ-Dの体内の卵母細胞が低濃度(生理的濃度)のホルモンに反応できるようになるには、恒明条件では前回の産卵から18時間、明暗周期のある条件では21〜22時間を要しました。Clytia sp. IZ-Dはこれまで知られていなかったしくみ──卵母細胞の低濃度ホルモンに対する応答能力獲得のタイミングがその2時間後(卵成熟完了後)の産卵のタイミングを決める──をもっているようです(図2)。 図1. Clytia sp. IZ-Dの産卵 (A) Clytia sp. IZ-Dの顕微鏡写真 (B) Clytia sp. IZ-Dのイラスト (C) 単離した生殖巣からの産卵の様子 (D) Clytia hemisphaericaとClytia sp. IZ-Dの産卵のタイミング 図2. 恒明と12時間明-12時間暗の条件下でのClytia sp. IZ-Dの卵成熟・産卵のタイミング   以上の結果から、Clytia sp. IZ-Dは卵成熟ホルモンの分泌・受容に立脚した新たな生物時計や概日リズムのしくみを獲得し、朝の光を利用して夜に産卵するように「進化」したと推測されます。このしくみの獲得によって、悪天候にも左右されにくい産卵方法を手に入れるとともに、近縁種からの生殖隔離(注8)と種分化(注9)を果たしたのかもしれません。   今後の展望 Clytia sp. IZ-Dのもつ、新たな生物時計や概日リズムのしくみを理解するには、光受容や卵母細胞の成長の制御などに関わる分子(遺伝子)にどのような変異が生じたのかを明らかにしていく必要があります。また、産卵のタイミングの変化が実際に生殖隔離や種分化につながった例について、他のクラゲも含めて広く調べていくことも大切です。他の海産動物のように、概日リズムだけでなく月齢や温度にも影響される、複雑な卵成長や産卵のしくみを理解する手がかりとしても期待されます。Clytia sp. IZ-Dは飼育しやすく、温度変化にも強いクラゲです。中学校の理科や高等学校での生物における生殖分野の学習などに活用する道も探っていきたいと考えています。   謝辞 本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 (課題番号20K06736)、公益財団法人日本科学協会 笹川科学研究助成 (研究番号2025-4059)、フランス国立科学研究センター生物学研究所 海洋生物学国際共同研究補助金の支援を受けました。   用語説明 注1. Clytia hemisphaerica:刺胞動物門ヒドロ虫綱軟クラゲ目ウミサカズキガヤ科ウミコップ属のクラゲ。ゲノム情報を含め、分子生物学的な基盤が整っている。   注2. 卵成熟誘起ホルモン(Maturation-inducing hormone, MIH):卵母細胞に作用し、減数分裂(卵成熟)を誘発するホルモン。C. hemisphaericaでは、ペプチド(WPRPaやその類似物質)であることがつきとめられている (https://journals.biologists.com/dev/article/145/2/dev156786/48822/)。   注3. 卵母細胞:減数分裂を完了する前の段階の卵細胞。   注4. 卵成熟:卵母細胞が減数分裂をおこない、受精可能な卵になっていく過程。   注5. 生物時計:生物がそなえていると考えられる時間測定のしくみ。概日リズムは生物時計の代表例。   注6. 概日リズム (サーカディアンリズム, circadian rhythm):およそ1日の周期で変動する生物現象。光などの外界の変化を受けることにより、ちょうど24時間周期に補正される。時計遺伝子による制御のしくみが明らかになっている生物現象もある。   注7. Clytia sp. IZ-D:C. hemisphaericaと同じウミコップ属のクラゲ。ウミコップ属のクラゲは形態的差異が乏しいため、種の同定が困難であり、正式な学名をつけることができていない。なお、宮城県では、Clytia sp. IZ-Dによく似たClytia sp. IZ-Cというクラゲも採集されているが、このクラゲはC. hemisphaericaと同様に明刺激から2時間程度で産卵する。   注8. 生殖隔離:なんらかの遺伝的差異による隔離。出現場所や産卵時期が異なることなどによる「交配前隔離」や、生じた子が不稔になることなどを含む「交配後隔離」がある。   注9. 種分化:同じ種の生物の集団間に生殖隔離が生じ、2つ以上の種が形成されること。   論文情報 タイトル: A light-entrained clock mechanism in a hydrozoan jellyfish synchronizes evening gamete release 著者: Ruka Kitsui, Noriyo Takeda, Evelyn Houliston, Ryusaku Deguchi*, Tsuyoshi Momose* *責任著者: 宮城教育大学 出口竜作、フランス ソルボンヌ大学・国立科学研究センター 百瀬剛 掲載誌: PLOS Biology DOI: 10.1371/journal.pbio.3003502 URL: https://journals.plos.org/plosbiology/article?id=10.1371/journal.pbio.3003502   報道発表資料.pdf(504.95 KB) 掲載雑誌:PLOS Biology   【お問い合わせ先】 宮城教育大学大学院教育学研究科 出口 竜作 博士 TEL:022-214-3413 e-mail:deguchi@staff.miyakyo-u.ac.jp

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    2026.01.09
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    メスのメダカの性行動を行うモチベーションは排卵周期にシンクロする ~メスがオスを受け容れる行動を生み出す神経回路の解明に期待~

    本研究成果のポイント ゲノム編集により排卵できなくなったメダカのメスは、性行動のモチベーションがなくなり、オスの求愛を受け容れなくなった メスのメダカにおける排卵発生のタイミングと性行動のモチベーションが上昇するタイミングを正確に明らかにし、排卵が脳に伝わることで性行動を促す神経内分泌メカニズムの実体を提唱した この神経細胞を起点として、メスがオスを受け容れる行動を生み出す神経回路の全容解明につながると期待   概要 広島大学大学院統合生命科学研究科 富原壮真 助教(研究当時:東京大学 大学院理学系研究科 博士課程)、下舞凜子(研究当時:東京大学 大学院理学系研究科 修士課程)、大阪医科薬科大学 医学部 中城光琴 助教、東京大学 岡良隆 名誉教授、東京農工大学 大学院農学研究院応用生命化学部門 馬谷千恵 助教(研究当時:東京大学 大学院理学系研究科 助教)の研究グループは、メダカのメスの性行動に対するモチベーション(性的受容性)が、一日周期で回る排卵周期に同期して変動することを明らかにしました。   一般に魚類のメスが産卵するためには、卵巣に発達した卵がある状態でオスを受け容れるといったように、卵巣の状態と性的受容性を同期させることが重要です。しかし、卵巣の状態を脳に伝え性的受容性を制御する神経内分泌メカニズムがどのようなものなのか、その詳細は明らかになっておりませんでした。   今回の研究では、ゲノム編集技術※1を用いて卵巣の状態が異なるメスメダカを作出し、卵巣の状態の中でも特に「排卵※2が起きたこと」がメスの性的受容性の促進に寄与していることを明らかにしました。また、メダカのメスを経時的に観察することで、排卵と性行動のそれぞれが起こるタイミングを正確に捉え、排卵の直後から性行動が起こることを示しました。さらに、卵巣において排卵時に分泌されるホルモンが脳内の神経細胞に直接受け取られることで、性的受容性が促進することを示唆する結果を得ました。これは、メスの性的受容性を排卵周期に同期して上昇させる神経内分泌メカニズムの実体を提唱するものです。   本研究により、魚類メスの性的受容性を促進する神経回路の理解が進むとともに、新たな繁殖技術など水産増養殖法の改良に向けた研究にもつながると期待されます。 本研究成果は、英国科学誌「Journal of Neuroendocrinology」に、2026年1月9日(金)(日本時間)にオンライン公開されました。   背景 魚類は、脊椎動物の中でも特に多様化した動物であり、さまざまな種が海や川などの世界中の水域に生息しています。この魚類たちは、一般にそれぞれの種の雌雄で性行動を行うことで、新たな子孫が生まれ、種が存続していきます。多くの魚類の性行動は、オスがメスに求愛行動を行うことで開始され、メスが求愛を受け容れるかどうかが繁殖成功の鍵となります。一方、メスはいつでもオスを受け容れるわけではなく、卵巣に発達した卵が存在し、卵が産める状態になった時にのみオスを受け入れることが多くの種で報告されています。このように魚類メスがオスを受け容れて性行動を行うモチベーションすなわち性的受容性は、卵巣の状態に同期して上昇し、これによってメスは正確なタイミングでオスの求愛を受け容れることができます。しかし、魚類において卵巣の状態を脳に伝える神経内分泌メカニズムがどのようなものなのか、その詳細は明らかになっていませんでした。   本研究で用いたメダカは、一日周期で卵を産み、また定型的な性行動のパターンを示すため、性行動の解析に適した魚です。また、卵巣での卵発達を制御する神経内分泌メカニズムの知見が豊富であるため、卵巣の状態と性的受容性を同期する仕組みの理解に適切なモデルであると考えました。   研究成果の内容 メダカをはじめとする魚類のメスにおいては、脳の視床下部に存在する神経細胞や脳下垂体から分泌されるホルモンによって卵巣における卵の成長が制御されています。このため、ゲノム編集技術でこの卵巣機能制御に関与する遺伝子を機能不全にしたメスメダカの性行動を解析し、オスから求愛を受けるかどうかや、その求愛を最終的に受け容れるかどうかを解析しました。その結果、脳下垂体から分泌される黄体形成ホルモン(LH)※3の遺伝子の一部が欠損し、発達した卵を持ちながら排卵することが出来ないメスメダカ(LH欠損メダカ)は、オスから正常に求愛されるにも関わらず、その求愛を一切受け容れませんでした。また、正常なメダカのメスの排卵が起こるタイミングと性行動を行うタイミングを経時的に観察した結果、排卵は飼育室の照明が点灯する約2時間前に起き、一方で性行動は照明点灯の1.5〜1時間前に行われることを正確に明らかにました。このように、性行動は排卵の起きた直後に行われることがわかり、メスの性的受容性は排卵することで上昇することが示唆されました。   次に、このLH欠損メダカに排卵時に卵巣から分泌されることが報告されている性ステロイドホルモン17α, 20β-DHP※4と受容体※5をともにするP4※6を投与すると、オスと性行動をする様子が観察され、性的受容性が回復しました。興味深いことに、P4の投与では排卵そのものが回復することはなかったため、P4が卵巣に作用し排卵が起き、結果的に性的受容性が回復したのではなく、投与したP4が直接脳内に受容されることで性的受容性が回復したことが考えられます。実際、17α, 20β-DHPやP4の受容体は、終脳腹側野や視索前野といった脳内の性行動に関与することが報告されている領域に存在する神経細胞で発現しており、自然条件下でも排卵時に卵巣から分泌されるホルモンが脳内で直接受容され、この神経細胞が性的受容性の促進に関与する経路が存在することが示唆されました。   今後の展開 本研究により、魚類メスの性的受容性を促進することに寄与する神経細胞の実体が一部明らかになりました。今後はこの神経細胞を起点として、メスがオスを受け容れる行動を生み出す神経回路の全容解明につながると期待されます。   論文情報 掲載雑誌名:Journal of Neuroendocrinology 掲載日:2026年1月9日 タイトル:Sexual Receptivity Increases in Synchrony with the Ovulatory Cycle in Female Medaka 著者:富原 壮真、下舞 凜子、中城 光琴、岡 良隆、馬谷 千恵 DOI:https://doi.org/10.1111/jne.70119   参考資料   用語解説 ※1ゲノム編集技術:生物のゲノムDNAのうち、目的の遺伝子領域を酵素の“ハサミ”で切断することでその遺伝子の機能を欠損、あるいは改変する技術。 ※2排卵:卵巣内で発達した濾胞(卵を包む袋状の構造)が破れ、卵が卵巣の外に放出される現象。体外受精を行う魚類の多くは、メスが排卵された卵を腹内部に蓄え、オスと性行動を行うことで卵を体外に放出する。この体外に放出する現象は放卵といい、排卵とは異なる現象である。 ※3黄体形成ホルモン(Luteinizing hormone; LH):脳下垂体から分泌されるホルモンで、複数のアミノ酸が繋がったペプチド。脊椎動物に広く保存されているホルモンであり、哺乳類では排卵に加え、卵を成長させる機能も担う。一方で魚類においてこのホルモンは排卵を制御し、卵の成長は別のホルモン(濾胞刺激ホルモン)が担う。 ※417α, 20β-DHP:メダカをはじめとした魚類の多くにおいて、排卵時に卵巣から分泌されるホルモン。このホルモンは、脳下垂体から分泌されたLHが卵巣の細胞の受容体に結合することで卵巣の細胞から産生・分泌され、濾胞を破って卵を濾胞の外に放出する現象(排卵)を引き起こす。 ※5受容体:細胞内または細胞膜に存在するタンパク質で、ホルモンや神経伝達物質のような特定の分子(リガンド)を選択的に受け取り、細胞内外の情報を伝達する。 ※6P4:17α, 20β-DHPと似た構造を持つものの、メダカにおいては排卵を引き起こすことのないホルモン。17α, 20β-DHPとP4は同じ受容体※5を活性化するため、これらのホルモンは同じ細胞に受容されることが予想される。   報道発表資料.pdf(372.84 KB) 掲載雑誌:Journal of Neuroendocrinology 研究者ガイドブック(富原 壮真 助教)   【お問い合わせ先】 〈研究に関すること〉 広島大学大学院統合生命科学研究科 助教富原 壮真 Tel:082-424-7458 E-mail:tomihara@hiroshima-u.ac.jp   東京農工大学大学院農学研究院応用生命化学部門 助教馬谷 千恵 Tel:042-367-5696 E-mail:chie@go.tuat.ac.jp   〈報道に関すること〉 広島大学広報室 TEL:082-424-6762 FAX:082-424-6040 E-mail:koho@office.hiroshima-u.ac.jp   東京農工大学総務課広報室 TEL:042-367-5930 E-mail:koho2@cc.tuat.ac.jp

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    2026.02.04
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    防風林近くの農業湿地では、ヒバリ、ケリなど草原や湿地に棲む野鳥が減少することを確認 ~農業生産と生物多様性保全を両立させる農地管理の実現へ~

    本研究成果のポイント 水田やハス田では、防風林※1の近くでオオヨシキリやホオジロなど林や藪を好む鳥やムクドリは増える一方、ヒバリやケリのような開けた環境を必要とする草原・湿地性鳥類は棲みにくくなります。これは、防風林があることでその林の中にキツネや猛禽類などの捕食者が身を隠しやすくなるため、などが考えられます。 草原性鳥類は、防風林に隣接する地点では、防風林から約1km離れた開放的な環境に比べて、個体数が約70%少ないことが分かりました。 本研究は、防風林を一律に増やすよりも、草原・湿地性鳥類が利用する開放的な農業湿地※2環境を途切れずに残すよう配置・管理する方が、農地全体の生物多様性の維持に有効であることを示しています。   概要 広島大学大学院先進理工系科学研究科の久野真純助教らは、農業湿地景観における防風林が鳥類群集※3に与える影響を明らかにしました。石川県河北潟周辺の農業湿地で調査した結果、防風林の周辺ではシジュウカラやコゲラを含む林の縁を好む鳥の種類や数が増える一方で、ヒバリなど草原性の鳥の数や、ケリなどのチドリ類、サギ類、カモ類など湿地性の鳥の種類が減少することが分かりました。 特に草原性鳥類(ヒバリとキジ)では、防風林に隣接する地点で個体数が大きく減り、開放環境と比べて約70%少ないことが明らかになりました(図1)。本研究は、防風林を一様に増やすだけでは農地全体の生物多様性の向上につながらない場合があることが示されました。今後は、開放的な環境が連続するよう防風林の配置や管理を工夫することがだと考えられます。 本研究成果は、2026年1月15日に、国際学術誌「Journal of Environmental Management」にオンライン掲載されました。 また、本研究は広島大学から論文掲載料の助成を受けています。   論文情報 掲載雑誌:Journal of Environmental Management 論文題目:Shelterbelts support edge birds but limit grassland and wetland specialists in agricultural landscape 著者: K久野真純・出口翔大・Wenhuan Xu・Xike Xiao・Keinosuke Sannoh・Xinli Chen・本村健 DOI: https://doi.org/10.1016/j.jenvman.2026.128583 図1:草原性の鳥の個体数と防風林までの距離の関係性を表したグラフ(Hisano et al. 2026を元に改変)   背景 農業集約化に伴う生息地の単純化は、世界的に農地鳥類の減少を引き起こしてきました。これに対応するため、各国の農業環境計画では、防風林や生け垣林などの農地樹林帯を維持・植栽することが推奨され、林縁性※4や森林性の鳥類を支える有効な手段と考えられてきました。一方で、こうした直線状の樹林帯は、草原性・湿地性鳥類にとって生息地を分断し、樹林帯を利用する猛禽類などに捕食される危険を高める可能性が指摘されています。   これまで、北米ヨーロッパの草原・畑地景観では、防風林や樹林帯が鳥類群集に与える影響が研究されてきましたが、アジア・モンスーン気候帯に広がる水田やハス田などの農業湿地景観では、その影響はほとんど検証されていませんでした。農業湿地は、自然湿地が減少した地域において、多くの湿地性・開放環境性鳥類にとって重要な代替生息地となっており、渡り鳥の中継地としても重要な役割を果たしています。そのため、農業湿地における防風林の効果を理解することは、生物多様性保全と農地管理の両立を考えるうえで重要な課題です。   研究成果の内容 本研究では、石川県河北潟周辺の農業湿地景観(水田・ハス田)を対象に、防風林の有無や距離が鳥類群集に与える影響を調べました。その結果、防風林は藪・林縁性鳥類の種数や個体数を増加させる一方で、草原性および湿地性スペシャリストの生息を制限することが明らかになりました。とくに草原性鳥類では、防風林に隣接する地点で個体数が著しく低下し、防風林から約1km離れた開放環境と比べて約70%少ないことが示されました。 これらの結果は、防風林が林縁性鳥類にとっては営巣や隠れ場所として機能する一方で、見通しの良い開放環境を必要とする地上営巣種にとっては、生息地の縮小や捕食リスクの増加をもたらす可能性を示しています。防風林は鳥類の多様性を一様に高めるのではなく、鳥類群集の構成そのものを変化させる要因であることが明らかになりました。  石川県河北潟のハス田に隣接して設けられた防風林の例。農地の風害対策として設置された防風林は、林や藪を利用する鳥類のすみかになる一方で、広く見通しのよい環境を必要とする鳥類にとっては、生息地利用の妨げの要因となることがある。 撮影:久野真純   防風林の影響を受けやすいと考えられる湿地性の鳥ケリ(左)と、草原性の鳥ヒバリ(右)。いずれも日本各地の水田で見られる種だが、本研究により、防風林に近い環境では生息地として利用しにくくなる可能性が示された。撮影:久野真純   期待される成果 本研究は、防風林や農地樹林帯の効果を、特定の種だけでなく鳥類群集全体の視点から評価し、農業湿地景観における管理上のトレードオフ※5を明確に示した点に特徴があります。これにより、防風林を含む農地樹林帯の維持・植栽がすべての鳥類にとって一様に有益であるという前提 (Hinsley and Bellamy 2000, Heath et al. 2017) を見直す科学的根拠を提供しました。 本研究成果は、農業環境計画や土地利用計画において、防風林を「増やすべき要素」として一律に扱うのではなく、どこに、どの程度配置するかを検討する必要性を示しています。とくに、草原性・湿地性スペシャリスト※6や地上営巣種が生息する農業湿地では、開放環境の連続性を確保することが、生物多様性の維持にとって重要であることが示唆されました。   さらに、水田やハス田などの農業湿地が、自然湿地の減少が進む地域において、渡り鳥や湿地性鳥類の重要な代替生息地となっている点を踏まえると、防風林の配置や規模を適切に設計することで、林縁性鳥類を支えつつ、国際的に減少傾向にある湿地性・草原性鳥類の生息地機能を損なわない農地管理が可能になると期待されます。これらの知見は、日本国内にとどまらず、アジア・モンスーン気候帯を中心とした世界の農業湿地において、持続的な農業と生物多様性保全を両立させる景観管理の指針として活用されることが期待されます。   今後の展開 本研究は、防風林の一律的な拡大が必ずしも農地生物多様性の向上につながらないことを示しました。今後は、防風林の配置や間隔、規模といった設計要素が、鳥類や捕食者の行動にどのように影響するかを、より詳細に検証する必要があります。また、季節や土地利用の違いを踏まえ、農業湿地全体の中でどの程度の開放環境を維持すべきかを明らかにすることが重要です。将来的には、防風林と開放環境を適切に組み合わせた景観設計指針を提示することで、農業生産と生物多様性保全を両立させる農地管理の実現に貢献することを目指します。   用語解説 ※1防風林:農地の風害防止を目的として植えられた直線状の樹木帯。農業生産を支える一方で、鳥類にとっては林縁環境や移動経路として機能することがある。 ※2農業湿地:水田やハス田など、人為的に管理されているが、水域や湿地環境の性質を持つ農地。自然湿地が減少した地域では、多くの湿地性生物の代替生息地となっている。 ※3鳥類群集:同じ地域に生息する複数の鳥類種からなる集まり。 ※4林縁性鳥類:森林と開放環境の境界(林縁)を主な生息場所として利用する鳥類。藪や樹木を隠れ場所や営巣場所として利用する種が多い。 ※5トレードオフ:ある対策によって得られる利益と、同時に生じる不利益の関係。本研究では、防風林が林縁性鳥類を支える一方で、草原・湿地性鳥類の生息を制限する関係を指す。 ※6草原性・湿地性スペシャリスト:草原や湿地などの開放的な環境に特化して生息する鳥類。見通しの良い環境を好み、地上で営巣する種も多い。   その他 本研究に取り組むきっかけは、これまでイギリスやアイルランド、ブルガリア、スイスなど、ヨーロッパを訪れた際に目にした農業景観にあります。ヨーロッパの農地には、畑や草地の境界にヘッジロー(生け垣林)が設けられており、日本の農村風景とは大きく異なる印象を受けました。農地の中に、周囲とは明瞭に異なる「緑の線」が連続している景観が、強く心に残りました。 一方で、日本の農地では、水田など広く開けた空間が人工湿地として機能しており、ヒバリやケリなど、見通しの良い環境を好む鳥たちが利用しています。こうした違いを実際に現地で見比べるなかで、「ヨーロッパで良いとされている農地での植栽が、日本の農地でも同じように良い結果をもたらすのだろうか」という疑問を抱くようになりました。とくに、共同研究者の出口翔大博士(福井市自然史博物館)と議論を重ねるなかで、ヘッジローや防風林のような線状の樹木構造は、林縁性の鳥類には居場所を提供する一方で、開放環境を必要とする鳥類にとっては、かえって生息しにくい環境をつくっているのではないか、という考えに至りました。この疑問が、本研究を進める原動力となりました。   本研究は、NPO法人河北潟湖沼研究所(河北潟研究奨励助成)、日本学術振興会(科研費・若手研究:21K17912)および広島大学スタートアップ経費による支援を受けて実施されました。   参考 Heath, S. K., C. U. Soykan, K. L. Velas, R. Kelsey, and S. M. Kross. 2017. A bustle in the hedgerow: Woody field margins boost on farm avian diversity and abundance in an intensive agricultural landscape. Biological Conservation 212:153-161.   Hinsley, S. A., and P. E. Bellamy. 2000. The influence of hedge structure, management and landscape context on the value of hedgerows to birds: a review. Journal of Environmental Management 60:33-49.   報道発表資料(648.85 KB) 掲載ジャーナル:Journal of Environmental Management 研究者ガイドブック(久野 真純 助教)   【お問い合わせ先】 大学院先進理工系科学研究科理工学融合プログラム(開発科学分野) 久野 真純助教 Tel:082-424-6905FAX:082-424-6904 E-mail:hisano*hiroshima-u.ac.jp (*は半角@に置き換えてください)

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