広島大学大学院医系科学研究科生体分子機能学の吉本由紀特任助教/日本学術振興会特別研究員 (当時)(東京都健康長寿医療センター研究員を経て現日本医科大プロジェクト助教)、宿南知佐教授の研究グループは、自然科学研究支援開発センターの外丸祐介教授、東京都健康長寿医療センターの上住聡芳研究副部長(現徳島大学大学院医歯薬学研究部特任講師)、九州大学生体防御医学研究所の大川恭行教授らの研究グループとの共同研究で、新たに確立したレポーターiPS細胞から腱細胞への分化誘導過程においてシングルセルRNAシークエンス解析を行いました。
本研究によって、iPS細胞から効率良く腱細胞を分化誘導する培養法を確立しました。分化誘導した細胞は腱細胞の指標となるマーカー遺伝子を高いレベルで発現していました。
シングルセル解析の結果、腱細胞の分化に関与する遺伝子発現の全体像を明らかにできました。
また、レチノイン酸シグナルの関与を見出し、レチノイン酸が腱細胞の分化を抑制していることを解明しました。
本研究成果は、ロンドン時間の3月9日午前6時(日本時間:3月9日午後3時)「Frontiers in Cell and Developmental Biology」(オンライン版)に掲載されました。
【背景】
超高齢社会の到来とともに健康長寿達成のため、寝たきりや要介護状態に直結する運動器の機能障害は、解決すべき喫緊の課題となっています。腱や靭帯は、体を動かすために必要な運動器において、骨格筋や骨を連結し、筋の収縮力を伝達し、骨格を安定化させています(図1)。腱・靱帯組織は、運動負荷に耐えうるために強靭なI型コラーゲン線維に富む一方で、血管網の分布に乏しい組織です(図1)。このために、一旦損傷すると、自己的修復および再生に非常に時間を必要とするために、しばしば運動不耐性となる時期が延長します。また、完全に元の、規則的な線維の構造が構築されず、脆弱な瘢痕組織によって置き換わり損傷を繰り返すため、再生医療の重要なターゲットの1つとなっています。
このような背景にも関わらず、これまでに適した細胞培養のシステムが存在しなかったことから、腱・靱帯細胞のバイオロジーでは不明な点が多く残っています。この問題を解決するために、今回、独自に、蛍光レポーターマウス由来のiPS細胞から腱細胞に効率よく分化する培養法を確立し(図2)、腱細胞分化に関わる分子メカニズムの解明に取り組みました。
【研究成果の内容】
今回、研究グループは、腱細胞への分化誘導法を探索するために、腱・靭帯が作られる過程で緑色蛍光蛋白質であるGreen fluorescent protein (GFP)(※1)を発現するScxGFPトランスジェニックマウス(※2)から、腱・靱帯細胞に分化するとGFPを発現するiPS細胞株を樹立しました(図2)。GFPの発現を指標とすることで、腱・靱帯細胞の分化に関わることが報告されている液性因子の中から、Transforming growth factor-β2(TGF-β2、※3)を用いると、効率よくiPS細胞からGFPを発現する腱細胞が得られることを見出しました(図2)。腱細胞が分化する過程で、TGF-β2が腱・靱帯細胞と近い細胞である軟骨細胞への分化を抑制していることも分かりました。
次に、腱細胞へ分化する過程における遺伝子発現の変動を調べるために、この培養法で分化を誘導する過程で段階的に細胞を回収して、1細胞ごとの遺伝子発現を調べることができるシングルセルRNAシークエンス(※4)を行いました。この結果、未熟な細胞では早期マーカーであるScleraxis (Scx、※5)が、腱細胞へ分化すると成熟マーカーであるTenomodulin(※6)が発現しており、未分化状態から分化成熟に伴って、遺伝子の発現も方向性を持ってシフトすることが分かりました。
さらに未分化な間葉系前駆細胞において、レチノイン酸合成酵素であるAldh1a2が発現している点に着目し、腱細胞分化に対するレチノイン酸の役割を調べたところ、レチノイン酸は、腱細胞、線維軟骨細胞および腱の付着部近傍の硝子軟骨細胞の全ての細胞分化を抑制していることが明らかになりました(図3)。この作用を利用し、レチノイン酸を阻害することで、さらに効率よく腱細胞、線維軟骨細胞が分化誘導できる培養法を確立することができました(図3)。
【今後の展開】
今回効率の良い腱細胞分化誘導法が確立できたことで、腱・靭帯形成や再生に関与するような液性因子のスクリーニングが可能となり、治療効果を示すような新たな薬剤の探索も可能となりました。さらに、腱・靭帯の骨への付着部では軟骨細胞や線維軟骨細胞が複雑な骨への移行構造を形成しており、非常に損傷が多い部位としても知られています。この培養システムを用いて、これらの細胞と腱・靭帯細胞の振り分けに関する分子機構を解明することで、運動器の再生医療に役立つ知見が得られることが期待されます。
図1 腱・靱帯と腱・靱帯組織
図2 ScxGFPマウス由来のiPS細胞を用いた腱細胞分化誘導法の確立
図3 レチノイン酸による腱細胞、線維軟骨細胞、付着部軟骨細胞の分化の抑制
(※1)Green fluorescent protein (GFP)
オワンクラゲに由来する緑色蛍光タンパク質。蛍光顕微鏡を使用して検出することが可能で、標識された細胞を可視化できる。
(※2)ScxGFPトランスジェニックマウス
Scxのゲノム領域にGFPを組み込んだDNA(トランスジーン)を受精卵に導入して樹立したトランスジェニックマウス。Scxの発現領域である腱・靭帯特異的にGFPを発現する。
(※3) Transforming growth factor-β2 (TGF-β2)
Transforming growth factor-β2は増殖因子の一つで、組織形成において細胞の分化や増殖を制御する。腱・靭帯の発生に必要であることが知られている。
(※4)シングルセルRNAシークエンス
1細胞ごとに発現している全ての遺伝子を解読する技術。細胞ごとの遺伝子発現のプロファイルによって、同じような細胞をグループ化し、どのような細胞集団が存在しているかを知ることができる。また異なる細胞集団の関係性や相互作用を調べることができる。
(※5)Scleraxis
前駆細胞から腱・靭帯細胞に特異的に発現する転写因子。成熟マーカーであるTenomodulinの発現をポジティブにコントロールしている。腱・靭帯の付着部を形成する線維軟骨細胞や軟骨細胞にも一過性に発現している。
(※6)Tenomodulin
腱・靭帯や筋上膜に特異的に発現するII型の膜貫通タンパク質。軟骨に特異的に発現する血管新生抑制因子であるChondromodulin (Cnmd)のファミリー分子であり、C末端側にシステインに富む血管新生を抑制するCnmd様の領域を有する。腱・靭帯の成熟マーカー分子として広く用いられている。